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Title
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#058「二種深信にあるように『曠劫よりこのかた』の過去世のことまで分かるようになるのですか?」について(頂いた質問)

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#057「阿弥陀仏は一体、私の何を救って下さるのか?」について(頂いた質問)

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#056「教行信証の総序に書いてある「たまたま行信を獲る?」や「弘誓の強縁が多生にも値ひがたく、億劫にも獲がたい?」、親鸞聖人は、なぜ、「遠く宿善を慶べ」ではなく、「遠く宿縁を慶べ」と言われたのか?」について

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#055「阿弥陀仏の本願は、「ただ今救う」本願ですが、「ただ今救う」と今聞けていないのは、まだ、私の機が熟していないからでしょうか?」(頂いた質問)

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#054「現世(今生)で救われる人と、来世(未来世)で救われる人が出てきてしまうのは、やはり「宿善」の厚薄が関係しているのでしょうか?」(頂いた質問)

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#053「同じ内容の本願を聞いていても、本願を信じられずに、念仏だけ称えている者は、阿弥陀仏のお救いから漏れてしまうのでしょうか?」(頂いた質問)

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#052「念仏衆生摂取不捨」について・「念仏によって救われるのか?」「信心によって救われるのか?」(頂いた質問)

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#051「信相の一念」の自覚があるかないかで、「信心獲得」したのか?まだ「信心獲得」していないのか?を自分自身で信疑決判できるという理解で間違いないでしょうか?」(頂いた質問)

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#50「阿弥陀仏の本願をその通りと聞けるようになった瞬間を、「信の一念」と浄土真宗では言っているのでしょうか?また、この「信の一念」は、自覚ができるのでしょうか?」(頂いた質問)

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#049「阿弥陀仏の本願を疑い無く聞けるようになる(聞く耳をいただく)と、往生一定だとハッキリして、今までの本願に対するモヤモヤも日本晴れのようにスッキリするのでしょうか?」

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#048「自分自身で信疑決判できるのでしょうか?」(頂いた質問)

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#047「死後の行き先である、極楽浄土のことも何も分からず、仏に成るとは、どういうことかも分からず、親さまと呼ばれる阿弥陀さまのことも分からずに、「ただ本願を信じ念仏を申さば仏に成る」ということだけなのでしょうか?」(頂いた質問)

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#046「信心獲得すると、同じ仏願の生起本末(阿弥陀仏の本願)を聞いても、おとぎ話や作り話ではなく、真実(事実)の話として、疑いなく聞けるようになるのでしょうか?」(頂いた質問)

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#045「本願疑惑心と疑煩悩(煩悩としての疑い)の区別(分別)は、未信の者にも分かるのでしょうか?」(頂いた質問)

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#044「念仏する者を必ず助ける(念仏の回数や時節は関係ない)という本願であれば、念仏している私は必ず救われると安心してよいのでしょうか?」(頂いた質問)

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#043「本当に阿弥陀さまは、私に向かって『ただ今おまえを助ける』と仰せになっているのでしょうか?」(頂いた質問)

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#42「念珠を持った方が良い(略)等のお勧めが気になりビクビクします。信心がわからないからか具体的な行動にすがり、特に禁止的な勧めに過敏反応し、苦しくなってしまいます。(Peing-質問箱-より)

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#41「十劫安心は間違っていないように思うのですが、どこがよくない考えなのでしょうか?」

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#040「聞即信」とは、聞いているままが信心であって、聞いたら信心をいただけるということではないのでしょうか?(Peing-質問箱-より)

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#039「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか?

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#038「念仏は、やっぱり真面目に真剣に称えないとダメだ」と思ってしまうのも、結局本願を疑っていることになるのでしょうか?

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#037「阿弥陀様をたのむものを必ず助けるということですが、阿弥陀様に助けてくださいとお願いするのではなく、仰せをそのまま承るとはどのようなことなのでしょうか?」(頂いた質問)

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#036「蓮如様は、口に念仏申しただけでは助からぬと仰っていると思います。(略)今のままでは助からないのでしょうか?」(Peing-質問箱-に頂いた質問)

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#035「阿弥陀様が、南無阿弥陀仏という名前になって私を救ってくださる。という理解でよろしいでしょうか?」(頂いた質問)

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#034「南無阿弥陀仏を称える衆生を必ず助けるという御本願をそのままきくことができません。どうしたらよいでしょうか?」(頂いた質問)

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#033「この問題は阿弥陀様が勝手に解決してくれるまで待つしかないのでしょうか?」(頂いた質問)

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#032「心が南無阿弥陀仏になるというのはどういう意味なのでしょうか?」(頂いた質問)

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#031「念仏しようとしたり、聴聞しようとする殊勝な心を私達は元来、持っていないという内容はお経の中にありますでしょうか?」(頂いた質問)

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#030「ただ今助けるという阿弥陀仏の本願を『許諾する』『受け入れる』『聞き受ける』等のニュアンスが分かりません」(頂いた質問)

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#029「自力を捨てるとは、自力が問題にならなくなることですか?それとも自力が意識から消えるのでしょうか?」(頂いた質問)

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#028 信後には安心がありますか?(頂いた質問)

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#027 逆謗の死骸である機を見つめよとか、機はほっといて法の尊さに目をつけよとか言いますが、どららが正しいのでしょうか?

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#026 お寺に行って聴聞すること、ネットでの法話を聴聞すること、本を読むことの違いについて

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#025「阿弥陀仏の本願に対する疑いがどうしても晴れません。悩んでいます。救うと誓われているのになぜ獲信者が少ないのでしょうか 」について

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#024「阿弥陀仏という余りにも抽象的な概念をそもそも信じるとか信じないとかどういうことだろう?」 「阿弥陀仏に救われるとはどういうことなのだろう?その概念自体が理解できない?」

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#023「してはならないことを一つ一つ潰していけば最終的に「おまかせする」ことになるのかなあとも愚考します」(猿松さんのコメント)

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#022「罪障功徳の体となる」のご和讃の「罪障と功徳が等価にならない」について

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#021「信心決定すると後生は極楽浄土に生まれて仏になるという自覚が生まれるのでしょうか?」(ぷろぐれすさんのコメントより)

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#020「金剛心になると聞いたことがあります。なにが金剛なるのでしょうか?」(頂いた質問)

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#019「命がけで聞かないと救われないのでしょうか?」について

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#018 「私はなぜ助からないのでしょうか?」

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#017 ありがたそうな人の念仏と私の念仏は違うような気がします(いただいた質問)

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#016「たすけたまへと弥陀をたのめ」について

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#015「易往而無人」について

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♯014 「愚者になりて往生す」について

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#013 心得たと思ふは心得ぬなり。心得ぬと思ふは心得たるなり。(御一代記聞書232)について

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#012 阿弥陀仏に早く救われる人と時間がかかる人と何が違うのですか?

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#011 親鸞聖人は、歎異抄一章に「摂取不捨の利益」と仰っておられるとお聞きしますが、その世界は、どういう世界でしょうか。

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#010 「聞思して遅慮することなかれ」 これは、海のマグロに泳ぐのをやめろ!という ようなものではないかと思うのです。(タロウさんのコメントより)

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#009 今日こそは本願を聞いて救われるつもりで法座に足を運びますが、今日も駄目だったかと帰っている日が続いてます。

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#008本願を聞いて有難いとは思うものの、なかなかそうだなとは思えません。

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#007 信心決定すると疑心あることなしとはどういう状態ですか?

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#006 仏願の生起本末のお話は、何度も聞かせて頂いているのですが、どこがちゃんと聞けていないのでしょうか?

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#005 「地獄へ堕ちるのではと気になります」について。

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#004 本願に疑い晴れる方法はないけれど、聴き方の注意点はありますか?

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#003「聞法すれば救われるというのは間違いとは思いますが?」について

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#002 仏教の難しい言葉はあまりわからないので、飛ばして読んでもいいでしょうか?

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#001 音声版安心問答始めました