PODCAST · health
身体の教養ラヂオ
by 大沼竜也
大沼竜也(おおぬま・たつや)鍼灸師。1991年宮城県生。身体の教養──自分の身体の状態を感じ取り、自分で調整できるようになること。読み書きと同じように、誰もが身につけるべきリテラシーだと考えています。漠然とした不安、疲れ、行き詰まり。その原因を思考で探しても、また同じ不調が戻ってくる。身体の状態が変わっていないからかもしれません。身体は常に何かを感じています。あなたが気づいていなくても。この「感じ」が、気分も判断も行動も──暮らし全体を方向づけています。身体の構造を知り、自分の身体に通し、感覚が立ち上がる。コーヒーを飲む、本を開く、誰かと話す。行為は同じでも、身体の状態が変われば暮らしの質が変わります。自分の手で触れ、ゆすり、さする。感じて、解いていく。僕はこれを身体動態瞑想と呼んでいます。瞑想は身体的な行為であり、感じ解いていくことです。変われないのは、あなたのせいではありません。身体が固まったまま思考だけで何とかしようとしている構造のせいかもしれない。この番組では、身体の教養という視点から暮らしを見つめ直します。▼ 話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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自己愛が歪むと、人は差別したくなる?|陰謀論者と他責思考は藁をも掴む
「あの人のせいだ」「中国人のせいだ」「あの世代のせいだ」── SNSを開けば一日中、誰かが誰かを糾弾している。気づくと自分も巻き上げられて、傷ついて、なんだか疲れている。なぜ、人は誰かを悪者にしたくなるのか。最近、こんな言葉を聞きました。「絶望を知らないからクズになる。だから誰かのせいにしたくなる」と。確かに一理あります。けれど、深く考えてみると、見えてくるものがありました。絶望って、「想像」でもあります。想像は、これまでの経験や体験を基盤にして初めてできるもの。自分の身体で絶望を感じたことがなければ、世界の絶望や他者の苦しみを想像できるわけがない。だから、差別の向こうで誰がどんな痛みを感じるかも想像できない。かといって、その痛みを思い出すこともできない。代わりに、「あいつのせいだ」「陰謀だ」という記号を、藁にもすがる思いで掴む。── 自己愛が歪んだ時、人はこの「藁」を本気で握りしめます。自信満々だった人も、人生の疲弊の中で自己愛が歪むと、「〇〇のせい」が止まらなくなる。このエピソードでは:・なぜ「絶望を知らない人」が藁にすがるのか・身体的な絶望体験(父との対峙、雪山、波)が想像の基盤になる仕組み・「絶望が足りない」を生む2つの社会構造(危険を排除する社会/効率化を強いる社会)・ブッダの「苦は遍く知られるべし」が、なぜ身体に降りる話なのか・健全な希望は、絶望を知った身体に立ち上がるを、丁寧に語ります。「あの人のせい」と言いたくなった時、身体は何を伝えているのか。一緒に考えてみませんか。参考文献:『初転法輪経(相応部 SN 56.11)』、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』、養老孟司『唯脳論』、ハン・ビョンチョル『疲労社会』、増谷文雄/梅原猛『仏教の思想10 絶望と歓喜〈親鸞〉』
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禁欲ってどうなの?|身体論から見る「快楽」の捉え方
「幸福とは〇〇だ」のラヂオを聴いてくださったある方から、こんなご質問をいただきました。「禁欲についてもう少し詳しく聞きたい。性欲が強くて悩んでいる場合、その欲求に従うことでその時は快に向かうのですが、事後毎回不快な気持ちになります。寂しいというか虚しいというか。これを解消するにはどのように体と向き合えばいいのでしょうか。どれが自分の声かわからなくて」すごく大切な問いだと感じました。今回はそのご質問を出発点に、欲と身体について少し丁寧に話しました。「欲しい」と「心地よい」── どちらも広く言えば「快楽」と呼ばれるシステムの一部ですが、その内側にまったく違う2つの働きがあります。神経科学の研究でも、両者はそれぞれ別の脳の回路で動いていることがわかってきています。「欲しい」のほうはドーパミンが関係する駆動の回路(wanting)、「心地よい」のほうはオピオイドなどが関わる質感の回路(liking)。事後に虚しさが残るのは、片方の回路だけが強く燃えて、もう片方が一緒に動いていない状態なのかもしれない。そして「自分の声がわからない」というのは、感受性が低いからではなくて、大きい声と小さい声を聞き分ける練習がまだ追いついていないだけ、ということなのかもしれません。禁欲は、たぶん答えではない。欲を抑え込むのではなく、「心地よい」のほうの回路を、すこしずつ太くしていく。そうすると、「欲しい」だけが暴走することが、自然と減っていく。そして、「欲しい」を強く引き出してくる装置に満ちた現代社会のなかで、それは個人の弱さではなくて環境の側の問題でもある──そんな話をしました。▼ 今回のお話・「欲しい」と「心地よい」は、似ているようでまったく別のもの・どちらも「快楽」と呼ばれるシステムの一部、というのが共通点・なぜ事後に虚しくなるのか・「自分の声」とは、どこから聞こえるのか・力を抜きながら、溶けていくように、心地よい感覚を頼りに動くこと・禁欲は、たぶん答えではない・「欲しい」を強く引き出してくる現代社会のなかで▼参照した文献Berridge, K. C. (2007). The debate over dopamine's role in reward: the case for incentive salience. Psychopharmacology, 191(3), 391-431.Berridge, K. C., & Kringelbach, M. L. (2015). Pleasure systems in the brain. Neuron, 86(3), 646-664.Schultz, W., Dayan, P., & Montague, P. R. (1997). A neural substrate of prediction and reward. Science, 275(5306), 1593-1599.Anna Lembke (2021) Dopamine Nation: Finding Balance in the Age of Indulgence. Dutton.Koob, G. F., & Le Moal, M. (2008). Addiction and the brain antireward system. Annual Review of Psychology, 59, 29-53.身体の教養ラヂオ/のんべんだらりと暮らすだけお手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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幸福とは〇〇だ|身体論から見る幸福論
「幸せになりたい」と人は言う。けれどその幸せがどこから来るのかを明確に答えられる人は、ほとんどいないのではないでしょうか。19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーは「幸福は積極的なものではない、苦の不在にすぎない」と書きました。人生は欲望と退屈のあいだを揺れる振り子である、と。今回はこの振り子モデルに、身体論の側から読みを重ねていきます。古代ギリシアのアリストテレス(エウダイモニア)から、エピクロス、ベンサム、ヒルティ・アラン・ラッセルの三大幸福論を辿り、最終的にはスピノザのコナトゥス、カール・ロジャースの実現傾向、ユージン・ジェンドリンのフェルトセンスへとつながる「身体内在の動き」の系譜のなかにショーペンハウアーを置き直してみたい、という回です。施術室で17年、人の身体に触れてきて見えてきたのは、苦と快が別々のものではなく、同じ一つのナビゲーション装置の両面であるということ。苦は、身体合理性から外れているサイン。快は、合理性に向かっているサイン。意志を否定するのではなく、サインに従って動いた結果として、「求めない」状態は立ち上がってくる。幸福は追いかけて獲得するものではなく、身体が発しているサインに従って動いた結果、覆いを取り除かれて立ち上がってくるもの。その覆いの正体には、認知の物語だけではなく、身体合理性から外れた状態を別の快で覆ってしまう「マスキングの快」、そして社会の構造そのものも含まれます。神経科学のライキング(オピオイド系)とウォンティング(ドーパミン系)の区別を手がかりに、現代社会がなぜ身体のサインを聞こえなくしてしまうのかも、一緒に考えていきます。▼ 今回のお話・三大幸福論(ヒルティ・アラン・ラッセル)と、そこから外れたショーペンハウアーの異質さ・「快は消極的、苦は積極的」というショーペンハウアーの命題に、臨床から重ねる読み・振り子モデルが射程に入れられない「フローの瞬間」のこと・幸福のベースラインが高い人と低い人がいるのはなぜか・ショーペンハウアーの「意志」は思考レベルではない──スピノザのコナトゥスへの帰り道・「意志を否定する」ではなく「サインに従う」という処方・触れている手が受け取っている「共苦(Mitleid)」という出来事・成果主義と感情資本主義のなかで、身体のサインが埋もれていくこと・ライキング(オピオイド系)とウォンティング(ドーパミン系)の神経科学話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#身体の教養 #ソマティクス #幸福論 #ショーペンハウアー #身体合理性 #身体知の書庫
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しなやかで強い心は身体からつくることができる|精神性と身体
身体を鍛え、心を育む。他国と比較しても、日本には独特な精神が根付いています。それが、心と身体は表裏一体の同じものであり、「身体を鍛えることで精神性を育む」という思想です。「健康が大事」とかの類ではない、身体という希望の世界を新体論の観点からご紹介します。※この動画は以前に作成したもので、すでに公開済みのものを再利用しています。既知の方はすみません。初めて見るという方は、こうしたテイストも面白いじゃん、と思っていただけたらういれしいです。
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「私らしさ」とは「匂い」である
「私はこういう人間だから」そう思うこと、ありますよね。人見知りだから、緊張しやすいから、気が弱いから──いろんな言い方がありますけど、そういう自己認識って、どこから来ているんでしょうか。生まれつきの性格。よく言われます。でも、施術室で毎日、人の身体に触れていると、ちょっと違う景色が見えてくるんです。性格と呼んでいるものの正体は、長い時間のなかで身体に染みついた「匂い」のようなものかもしれません。お香が服に染みつくように、繰り返した行為が、身体に痕跡として残っていく。肩の構え、呼吸の深さ、触れられたときの反応──そういう具体的なかたちとして。シリーズ「癖──あなたの性格は、身体が覚えている」第2回。今回は、2500年前のインドに飛びます。ブッダや、そのあとに現れた人たちは、この「癖が染みついていく仕組み」を、驚くほど精密に見ていました。身体の癖、言葉の癖、思考の癖──それがどう作られ、どう重なり合っていくのか。施術室で毎日出会っていることと、2500年前の人たちが見ていたことが、入り口は違うのに、ほとんど重なっている。そのことに気づいたときの驚きを、そのまま話してみました。「私はこういう人間」という感覚は、身体の匂いなんじゃないか。焚きしめられたものなら、少しずつ、別の香りに変わっていくこともできる。話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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あなたの「人見知り」は肩が覚えている|「性格」という「癖」シリーズ
人と話すのが苦手で、会議で発言を求められると肩が耳まで上がってしまう。頭では「大丈夫」と分かっているのに、胸が閉じる、息が止まる。17年間、身体に触れてきて気づいたことがあります。「人見知り」の正体は、心の弱さではなく、身体の防御反応が固定化したもの──つまり「癖」ではないか、と。今回は『セルフリセット』第3章をベースに、身体図式、防御反応、そして「性格」と呼ばれているものの解像度を上げていきます。2500年前のインドから13世紀のヨーロッパ、20世紀のフランスまで。人類がこの「癖」をどう見てきたか、全5回で追いかけます。▼ 話していること・人づきあいの悩みの身体的な正体・身体図式──身体が「覚えてしまう」メカニズム・「性格」の解像度を上げると「癖」が見える・癖の三つの性質・「分かる」と「感じる」の違い・コミュニケーションの心地よい記憶を身体に刻む▼ 参考書籍大沼竜也『ストレス専門のはり師が教える 心と体のコリをほぐすセルフリセット』(大和出版, 2024)話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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「ゆるむ言葉」言葉ならぬ言葉が、私たちをやらかくしてくれる。
「力を抜いてください」と言われても、なかなか抜けない。でも「だらーっとしてみてください」と言うと、肩がほどけて息が落ち着いてくる人がいます。この差は一体何なのか。今日はオノマトペの話です。だらー、ふわー、じんわり。子どもの頃に使っていた、言葉にならない言葉たち。イメージというのは、空想でも妄想でもありません。レモンという言葉で口に唾液が湧くのは、かつて体で経験した酸っぱさが呼び戻されているからです。だらーという音も同じで、お風呂にどぶんと沈んだ瞬間、布団に倒れ込んだ背中、猫が伸びているあの空気。そうした体の記憶に紐づいているから、言葉を聞いた瞬間に、実際に体が緩むんですね。逆に言うと、日常的に力んで頑張っている人は、だらーの感覚そのものが細くなっています。思い出す元が痩せ細っているから、言われてもピンとこない。リラックスしようとしてうまくいかないのは、頑張りが足りないからでも、知識が足りないからでもありません。想像力を支えている体の方が、その感覚を忘れてしまっているからです。経済の中で顔の見えない相手とコミュニケーションするうちに、僕らはオノマトペを手放して、論理的な言語化を身につけてきました。便利ではあるけれど、その代償として体は静かになっていく。AIの台頭で、この流れはさらに加速しているかもしれません。今日は提案です。だらーでもふわーでも、子どもの頃に使っていたような音を、頭の中でもいいのでポロッと口にしてみる。記号の意味合いが強い言葉から少し離れて、体験的な言葉に立ち返ってみる。案外、そこから何か戻ってくるものがあるかもしれません。🎙 身体の教養ラヂオ|ポッドキャスト配信中🏠 somatic studio|大沼竜也と身体の教養を深める実践と対話の場お手紙・ハガキ募集中です。〒981-0811宮城県仙台市青葉区一番町一丁目12-39-503大沼鍼灸 宛話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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「何をしても治らない」意識の方向を変えるだけで、変わりはじめます。
ストレッチ、筋トレ、サウナ、ヨガ──いろいろやっているのに身体が楽にならない。そんなお悩みに答えます。足りないのはメソッドではなく、自分の身体を感じ取る力のほうかもしれません。同じ動きを繰り返すと脳が感覚を間引いてしまう仕組み、「身体に気をつけているつもり」と「実際に感じ取れている」の乖離、そして感じようとすること自体が運動を変えるという話。同じストレッチでいいんです。やりながら意識の矛先を変えるだけ。今の身体を感じて、心地よさを探してみてください。そして、それをもっと心地良くなるようにしてみてください。——大沼竜也についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma「身体の教養」を日常に──Somatic Studio身体動態瞑想、水夜身体論、定期配信。月額¥3,300で身体の教養を暮らしに取り入れるオンラインスタジオです。https://www.somaticstudiojapan.com/somatic-studio
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暮らしが身体を壊す。暮らしが身体を直す。
折坂悠太さんの「寂しさ」を聴いて、その余韻のまま一日を過ごした。コーヒーを飲んでも、仕事をしても、なんかいつもと違う。あれ、今俺「丁寧な暮らし」してる?──そんな体験から始まる話です。丁寧な暮らしって、お気に入りのアイテムで周りを囲むこと、時間を贅沢に使うことだと思わされがちだけど、体がゴワゴワで苦しい状態で「今日はゆっくりしていいよ」って言われても、あんまりいい時間にならない。逆に体がほぐれていれば、同じコーヒーでもパソコン作業でも全然違う手触りになる。身体知性の話、感受性の話、感情資本主義の話。いろいろ広がりましたが、結局たどり着くのは「体が先に応答している」ということ。のんべんだらりと。話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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自分探しの答えは、〇〇にある。
MBTI、HSP、エニアグラム。自分を知るためのツールは、たくさんあります。でも、ラベルが増えても「自分がわかった」という実感が来ない、という方が少なくないんですよね。なぜなのか。千葉雅也『センスの哲学』にヒントがありました。千葉はセンスを「直観的にわかること」と定義しています。分析して導くのではなく、パッとわかる力のことです。この「パッとわかる」が機能するには、前提があります。身体が感じ取れる状態にあること。呼吸が浅く、肋骨が動かず、身体が「感じること」を後回しにしていると、直観の回路そのものが鈍ります。だからラベルで補おうとするわけです。施術を重ねて身体が開いてくると、面白いことが起きます。「今日はなんか魚が食べたい」「いつもと違う道を歩いてみた」。小さな「選ぶ」が戻ってくる。自分を見つけたわけではなくて、身体が選べるようになっただけなんです。「自分がわからない」のは、頭のせいではないかもしれません。話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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【メンタル回復法】鍼灸師が教える入浴法
鍼灸師で身体論研究者の大沼竜也が、温泉に入るときにいつも意識していることをお話しします。「溶けるように力を抜いて入る」──ソマティクスの視点から、ただの入浴ハックでは終わらない、身体感覚を軸にした温泉の入り方。・入水時に力まない練習・坐骨で座り、呼吸で内臓を動かす体操・露天風呂で「頭寒足熱」を実現する(東洋医学の視点)・水風呂=現代の滝行。交互浴の極意・温泉で培う"構え"は、日常の苦手な場面にも効く気持ちよさを指標に、身体の声を聞いてあげる。今日ものんべんだらりとお過ごしください。#身体の教養ラジオ #のんべんだらりと暮らすだけ #温泉 #入浴法 #ソマティクス #東洋医学 #メンタル回復 #水風呂 #交互浴 #頭寒足熱
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話が通じない人はなぜ勉強熱心なのか|人を学ぶほどに陥りやすい落とし穴
「施術のとき何をしてるんですか?」とたまに聞かれる。正直に言えば、わからない。触れている、感じている、応答している、促している。四つが同時に起きていて、順番が説明できない。養老孟司の「手入れ」という言葉がしっくりくる。でも植物と人間はちょっと違う。庭師は一方的に応答するけど、人間に触れるときは、相手が自分で自分の手入れをできるようになることを促している。庭師が庭師を育てている。「この筋肉は硬い。だからこうしよう」と思って触る手と、「この身体は今なにかを感じている、それが何かは私にはわからない」と思って触る手は、違う手になる。わかった気になることが、感じることを妨げる。不完全さを知っていることと、知らないことのあいだには、大きな違いがあるのではないかと感じている。話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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約束した時は楽しみなのに直前になると急にめんどくさくなってしまうあの現象を分析してみた
約束を守れない鍼灸師が、養老孟司の「万物流転、情報不変」と國分功一郎の「中動態」から、身体が変わるということの意味を考える。養老孟司は『バカの壁』で、現代人が自分は変わらないと思い込み、約束のほうを軽くしていると批判した。しかし臨床17年、毎日身体に触れていると少し違うことが見えてくる。自分が変わるものだと身体で知っている人間にとって、約束が変わるのは当然ではないのか。沖縄の「うちなータイム」は、お互いが変わるものだという前提を共有しているから成り立つ。鴨長明は社会的な約束を手放した場所で「ゆく河の流れ」を見た。哲学者・國分功一郎は『中動態の世界』で、「する/される」の二択の手前にある身体の過程を掘り起こした。約束を守る/守らないは意志の問題として語られる。しかし身体は意志の外で動いている。心臓は意志で鼓動しない。眠りは意志すれば遠ざかる。身体は中動態で動いている。身体の教養──それは、変わり続ける身体の中で何が起きているかに気づくことかもしれない。話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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言葉が身体を離れる時
「ChatGPTに聞いたんですけど、私はHSPだって言われました」そう話してくれたクライアントがいた。自分を表す言葉が見つかって、つかみどころが出てきた気がした。私だけじゃない。他にも同じ人がいる。安堵し、対策も講じていた。でも肩は硬いまま、呼吸は浅いまま。ラコフとジョンソンは「意味は身体から生まれる」と言った。ハーナッドは「記号は身体に接地しなければ意味を持たない」と言った。LLMは身体なき記号を精巧に生成する。「理由」はいくらでも供給される。でもそのどれだけの「理由」を得ても、身体の不快は消えない。「腑に落ちる」──内臓に降りてくる。「把握する」──手でつかむ。言語そのものが、「わかる」とは身体を経由する経験であることを記憶している。私たちの記号は、身体に接地しているか。自分が使っている言葉は、身体を通過しているか。話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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あなたの「心臓の感覚」が、「感受性」を決めている?
スポーツを見て感動する、こころが動くのはなぜか、説明できますか?冬季ミラノ・コルティナオリンピックが終わり、WBCが始まり、改めてスポーツっていいなあ、と身に染みて感じたことをきっかけに、「この感動を私たちはどこで感じているんだろう?」という問いから、身体論の観点から解説をしていきます。難しい技を成功させたから?期待を背負いながら乗り越えたから?メダルをたくさんとったから?どれも間違いではなさそうですが、それだけでは説明できない私たちの身体に残ったあの感覚があると思います。ぜひみなさんの経験をもとに、あの感動を追体験できるようなエピソードになったら嬉しいです。
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イライラする!「怒り」に飲み込まれないための身体論
ムキー!!!とイライラが止まらず、気持ちを抑えているだけで精一杯。子供にまた怒ってしまった。「怒り」という感情を現代の医療や哲学はどう捉えてきたのか。その問題点と、身体論からの解決策を提示します。大沼竜也|tatsuya onuma|somatic studio
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AIは最高の友達?|AI化する私たち
AIに心の相談をする人が増えました。私自身、クライアントから聞くこともあり、どれ使ってみようとGPT,Gemini,Claudeで相談をしてみました。(これはのちにアップするね)。それぞれの特徴的な応答のパターンがあるようにも感じますし、相手が人間ではないからこその独特な弊害を感じます。耳障りの良いことしか言わない、ということです。構造上、LLM(大規模言語モデル)はサービスです。利用者に喜んでもらう必要がある。利用する私たちが、本当に自己理解をしたいのか、つまり耳にいたいこともはっきり言ってもらえた方がいいと思っているのか、なんとなく自尊心を保てることを言ってもらえることが嬉しいのか、で彼らの応答は変わっていくということです。AIが私たちの人間性を育んでくれる、素晴らしいツールになるのか、夢の中に閉じ込めて吸い上げられるツールになっていくのか。利用者である私たちが、人間性、身体性ってこれだよね。という軸を持てなければ、LLMという自然に飲み込まれてしまうのではないでしょうか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー話している人(大沼竜也|somatic studio)についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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自己肯定感は考えても得られない?
自己肯定感を高めたい──この言葉が日常語になった。本を読んだ、アファメーションもやった。でも「やっぱり自分はダメだ」が戻ってくる。百三十年前、ウィリアム・ジェームズは言った。「泣くから悲しいのだ」と。感情は身体の中で生まれる。自己肯定感の末尾にある「感」は、感じること。その「感じ」は、身体の状態から立ち上がっている。身体が「大丈夫」の状態にあるとき、脳はそれを「大丈夫だ」と読み取る。では「大丈夫の状態」とは何か。そして、身体から入る具体的な実践とは。身体動態瞑想と身体の教養の話をします。話している人(大沼竜也|somatic studio)についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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声と身体性-あなたの「しゃべり」は心をほぐす-|前編
AIが完璧な声を出しても、あなたの体は絶対にととのわない「声がいい」って何が起きてるのか。倍音とか周波数とか、そういう話じゃなかった。声帯を動かす神経と心臓を動かす神経は、同じ迷走神経の枝です。つまり、体がゆるんでいる人の声には、そのゆるみが物理的に刻印されている。で、聴いた側の神経系は、言葉の意味を理解する前にそれに反応している。今回は、この現象を以下の研究・理論から横断的に解説しました。◆ スティーヴン・ポージェス(イリノイ大学)── ポリヴェーガル理論(2011)、ニューロセプション概念(2004)◆ スティーヴン・ウィルソン(UCLA)──「発話を聴くだけで発話運動野が活性化する」(Nature Neuroscience, 2004)◆ ルチアーノ・ファディーガ──「声を聴くだけで舌の筋電位が上がる」(European Journal of Neuroscience, 2002)◆ J.J.ギブソン ── アフォーダンス理論(『生態学的視覚論』1979)◆ メルロ=ポンティ ──間身体性(『知覚の現象学』1945/『見えるものと見えないもの』1964)◆ 市川浩 ──〈身〉の構造(講談社学術文庫, 1992)ゆるんだ声は、聴く人に「ゆるむこと」をアフォードする。椅子が「座ること」を誘うのと同じ構造で。じゃあAIが同じ倍音を完璧に再現したら?生きた体の呼吸のゆらぎ、心拍変動に連動した微細な周波数の揺れ。これはテクニックでは作れません。ポッドキャストは情報を届けるメディアじゃなくて、身体が身体に触れるメディアだった、という話です。ーーーーーーーーーーー鍼灸師・大沼竜也臨床17年。Instagram 45,000人に「身体の教養」を届けています。https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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考えすぎて思考がまとまらないー「実感に根ざさない記号」と「身体の知」」
考えすぎて眠れない夜がある。ノートに書き出しても、AIに相談しても、答えが出ない。でも、その「考えている」は、本当に考えているのだろうか。哲学者・中村雄二郎は『臨床の知とは何か』の中で、近代科学が前提にしてきた「知」が切り落としてきたものを指摘した。個々の固有の状況、多義性、そして何より──知る者が身体を持ってその場に立ち会っているという事実。鍼灸師として施術室に立つ中で、思考が止まらない方の身体に触れると、ほぼ共通した特徴がある。頸椎から肩にかけての強い緊張、板のような胸郭、浅く速い呼吸。身体が閉ざされたまま、記号だけが回り続けている。このエピソードでは、中村の「臨床の知」を手がかりに、「考えているようで考えていない」という逆説をほどいてみます。ChatGPTの時代に思考の檻がどう補強されているか、そして身体が開き始めたとき何が起きるかについても話しています。ブログ「身体知の書庫」と合わせてどうぞ🤲
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「やりたいことが見つからない」は、心の問題じゃなかった ──ギブソンのアフォーダンスと、身体が灯す可能性の話
「やりたいことが見つからない」は、心の問題じゃなかった ──ギブソンのアフォーダンスと、身体が灯す可能性の話施術のあとに「帰り道、いつもの駅前なのに景色が違って見えました」と言われることがあります。街は何も変わっていないのに。変わったのは、その人の身体でした。知覚心理学者ギブソンは、環境には「行為の可能性」が満ちていると言いました。彼はそれをアフォーダンスと名づけた。でも同じ環境でも、身体の状態によって見える可能性はまるで違う。「やりたいことが見つからない」は、意志が弱いからでも、自己分析が足りないからでもないかもしれません。身体が、世界からの誘いかけに気づける状態にないだけかもしれない。今回は、ギブソンのアフォーダンスという概念を手がかりに、「同じ環境なのに世界が変わって見える」のメカニズムを身体の側からほどいていきます。▼ 話していること・ギブソンが知覚心理学の常識をどう壊したか・アフォーダンスとは何か──椅子と象と幼稚園児の話・炎の比喩──環境という燃料と、身体という酸素・「やりたいことがわからない」の身体的な正体・なぜ身体が開くと「良い方向」に火がつくのか・人間関係もアフォーダンスである▼ 参考J.J.ギブソン『生態学的視覚論』ブログ「身体知の書庫」第9回
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疲れを知らない身体という嘘──ハン・ビョンチョル『疲労社会』から身体の教養へ
※音質がいつもより悪くなっています。すみません。。。「もっとできるはずだ」──その声は、いつから外ではなく自分の内側から聞こえるようになったのか。哲学者ハン・ビョンチョル(韓炳哲)は、現代を「成果社会」と呼びました。誰に命じられるでもなく自分を駆り立て、自分を搾取する社会。主人と奴隷が一人の中にいる社会。「できる」の肯定性が「すべき」の否定性よりはるかに効率的に人を消耗させる──なぜなら、自分自身への要求には抵抗する術がないから。施術室で毎日触れているのは、まさにこの「成果主体」の身体です。肩は耳まで上がり、肋骨はギチギチに固まり、呼吸は浅い。「頑張る」の漢字が教える通り、頑なに張り詰めた身体。今回は、ハン・ビョンチョルの社会哲学を手がかりに、ダマシオのソマティック・マーカー仮説、ポージェスのポリヴェーガル理論を交えながら、「疲労社会」の暴力性がいかに身体に現れるかを語ります。そして、哲学者の「深い退屈に身を委ねよ」という処方箋に欠けていたもの──身体の教養という具体的な実践について。身体の教養は、個人の健康改善にとどまらない。成果社会への構造的な抵抗になりうる。一人の身体が開かれれば、隣の身体も少しだけ緩む。その連鎖が、成果社会の中に「もう一つの時間」を編み込んでいく。体の声と精神の声、両方を大事にできること。それが人間らしい行為なのだと思います。参考文献ハン・ビョンチョル『疲労社会』(2010) / アントニオ・ダマシオ『デカルトの誤り』(1994) / スティーヴン・ポージェス『ポリヴェーガル理論』(2011) / J・J・ギブソン『生態学的知覚システム』(1979) / メルロ=ポンティ『知覚の現象学』(1945)#身体の教養 #ソマティクス #疲労社会 #ハンビョンチョル #ポリヴェーガル理論 #成果社会 #身体知の書庫
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身体が「考える」って何?──哲学者・市川浩とメルロ=ポンティから読み解く〈身〉の知
鍼灸師・柔道整復師として17年、3万人以上の身体に触れてきた大沼竜也が、哲学者・市川浩の〈身〉の概念とメルロ=ポンティの現象学を手がかりに、「身体が知っていること」について語ります。なぜマッサージ後にコリが戻るのか。「やる気が出ない」「毎日が同じに感じる」が実は身体の問題である理由。そして、言葉になる前の身体感覚=原感覚(Gen-Kankaku)が、私たちの判断や知覚をどう支えているのか。ダマシオのソマティック・マーカー仮説、ポージェスのポリヴェーガル理論、ギブソンのアフォーダンスなど、神経科学・生態心理学の知見も交えながら、「身体の教養(ソマティック・リテラシー)」の核心に迫ります。▼ 身体の教養を深めたい方はこちらhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#ソマティクス #身体の教養 #原感覚 #メルロポンティ #市川浩 #ポリヴェーガル理論 #身体動態瞑想 #鍼灸 #ソマティックリテラシー #大沼竜也
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孤独になる人の身体──ダンバーが発見した「つながりの上限」と、身体が閉ざすコミュニケーション回路 ──なぜ「話し上手」になっても孤独は消えないのか
「コミュ力を鍛えよう」──孤独に悩む人が最初に手を伸ばすのは、たいてい会話術やコミュニケーションスキルの本です。でも、それで孤独が消えた人はどれくらいいるでしょうか。今回は、進化人類学者ロビン・ダンバーが発見した「ダンバー数(人間が安定的に維持できる関係の上限=約150人)」を出発点に、なぜ人間関係に上限があるのか、そしてその上限よりもはるかに少ない人数で孤立してしまう人の身体に何が起きているのかを考えます。ダンバーの研究が示すのは、つながりの維持にはコストがかかるという事実。そして鍼灸師としての臨床から見えてくるのは、身体が「閉ざされ」の状態──防御モードで緊張・硬直し、感覚が外界に開かれていない状態──では、そもそもつながりを維持するためのコミュニケーション回路が物理的に制限されるということです。孤独は性格の問題ではありません。話し方の問題でもありません。身体が不合理な状態にあるとき、人は構造的に孤立へと向かいます。このエピソードで話していること:・ダンバー数とは何か──なぜ「150人」なのか・つながりの「質」を左右するのは会話スキルではなく身体状態・「閉ざされ」の身体が遮断するもの──ミラーリング、安心感の伝染、非言語コミュニケーション・承認欲求は「心が弱い」のではなく、身体的つながりの回路が閉ざされた代償・孤独から抜け出す第一歩は「話し上手になる」ことではなく、身体の合理性を取り戻すこと話す人についてではなく、聴いている身体について考える回です。▼ 大沼竜也鍼灸師/somatic studio japan 主宰著書『心と体のコリをほぐすセルフリセット』(大和出版・重版3刷)https://www.somaticstudiojapan.com
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【後編】ブッダとキリストが遺した「身体のサプリ」──無我夢中、縁起、空。2500年前の処方箋が身体の話だった
後編は、釈迦(ブッダ)の話から始まります。多くの宗教は「死後のご褒美」を用意する。天国、輪廻転生、来世の救い。釈迦はそのすべてを切り捨てた。人は死ねば終わり。宇宙もいつか終わる。──じゃあ、それでもやるのか。それでもやるなら、なぜやるのか。「無我」「縁起」「空」。難しそうに聞こえるこれらの概念を、宮台真司さんは「火」のたとえで鮮やかに翻訳していました。火という固い実体はない。条件が絡み合って「暖かさ」という機能が立ち上がるだけ。「私」もまた同じだ、と。そして宮台さんは、釈迦の「無我」を子ども時代の「無我夢中」として読み直す。砂場で遊んでた、虫を追いかけてた、あの感覚。損得も自意識もなく、ただ身体が世界に開いていた状態。前編のイエス(愛する方向から自己保身を壊す)と、後編の釈迦(自我を手放す方向から自己保身の前提を崩す)。方法はまったく違うのに、到達する場所は同じ。それを僕は「身体合理性」と呼んでいます。最後に、前編冒頭の「私じゃなくてもいいんじゃないか」という質問に、僕なりの答えを返しました。頭の判断よりも、モヤモヤの方を信じてほしい。▼ このポッドキャストは、サポーターの皆さんからいただいた質問にお答えする形でお届けしています。身体の感覚を通じて自分を理解し、他者や社会との関わりを育む「身体の教養」。臨床17年の鍼灸師・柔道整復師 大沼竜也が、東洋の身体哲学と現代の知見を統合した視点で、あなたの身体との対話をサポートします。▼ サポーターになる・大沼竜也についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#大沼竜也 #ソマティックスタジオ #身体の教養 #宮台真司 #身体性 #ソマティクス #身体合理性 #釈迦 #ブッダ #無我 #縁起 #空 #無我夢中 #量子論 #仏教 #内発性 #孤独 #現代社会 #自己保身 #身体感覚 #ポッドキャスト #一人語り #鍼灸師 #柔道整復師 #東洋医学 #身体哲学 #somatic #bodywork #somaticstudio
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【前編】ブッダとキリストが遺した「身体のサプリ」──"私じゃなくてもいい"の正体|前編
釈迦とイエスが遺した「身体のサプリ」──"私じゃなくてもいい"の正体|前編「やりたい仕事に就けたのに、"私じゃなくてもいい"と思ってしまう」サポーターの方からいただいたこの質問を入口に、社会学者・宮台真司さんの対談動画(海沼みつしろチャンネル)を取り上げました。宮台さんが語る「入れ替え可能性」──現代社会は、仕事も人間関係も「あなたじゃなくても回る」ように設計されている。その構造の中で、人はどうやって「かけがえのなさ」を取り戻すのか。前編では、宮台さん自身のナンパ体験から見えてくる「成功するほど孤独になる逆説」、子どもから大人への「劣化」、そしてイエス・キリストの「良きサマリア人」のたとえ、二つの祈り、一人を深く愛する経験が他者への愛を開くという話──これらを、身体の専門家の視点から読み直しています。宮台さんが「内発性」と呼ぶもの。僕が「身体合理性」と呼んでいるもの。言葉は違うけど、見ている景色はたぶん同じです。後編では釈迦(ブッダ)の処方箋へ。▼ このポッドキャストは、サポーターの皆さんからいただいた質問にお答えする形でお届けしています。身体の感覚を通じて自分を理解し、他者や社会との関わりを育む「身体の教養」。臨床17年の鍼灸師・柔道整復師 大沼竜也が、東洋の身体哲学と現代の知見を統合した視点で、あなたの身体との対話をサポートします。▼ サポーターになる・大沼竜也についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma#大沼竜也 #ソマティックスタジオ #身体の教養 #宮台真司 #身体性 #ソマティクス #身体合理性 #内発性 #イエスキリスト #良きサマリア人 #入れ替え可能性 #孤独 #現代社会 #自己保身 #利他 #愛 #身体感覚 #ポッドキャスト #一人語り #鍼灸師 #柔道整復師 #東洋医学 #身体哲学 #somatic #bodywork #somaticstudio
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心を変える前に身体が変わらなきゃね。人間だもの。
▪︎心は身体からできている|身体から心を診る鍼灸師▪︎【心と体のコリをほぐすセルフリセット】大和出版 | 国内重版3刷 | 海外翻訳▪︎コミュニティ【somatic studio】代表👇もっと心と身体のつながりを学びたい方はこちらwww.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonumaーーーーー 身体の教養: オンライン学習コース ※完全オンラインで受講いただけます※詳細はプロフィールリンクから★内容 ・ I:『読む』編 頭の中の「物語(解釈)」を解体し、身体の「事実」を受け入れる稽古 ・ II:『解く』編 身体動態瞑想(型)を用い、身体深部の緊張を物理的に解体する稽古 ・III:『沿う』編 日常のすべてにおいて、身体の合理性に自律的に沿うための稽古 努力や意志の力で自分を変えようとするほど、心身が不自由になっていく。 せっかくの休日なのに休めない、人間関係で同じ緊張を繰り返す。その原因は、脳が生存戦略として選んでしまう「不合理な固定回路(悪き癖)」にあります 。 あえて特定の制限(型)を用いることで、身体本来の可能性である「身体知」を引き出すためのプログラムです 。身体心理学、現象学、神経科学を横断した独自理論の構築 ・17年にわたる身体知性の探究と臨床実践 ・対人支援の専門家(カウンセラー・セラピスト・施術家)への理論提供 ・自分をいたわりながら進める、身体の自律性を尊重した学習体系身体知性を社会実装する場「Somatic Studio (ソマテティックスタジオ)」の運営 ・日常の中で感覚を磨き続ける「メンバープラン」の展開 ・仙台拠点を中心とした実対面での鍼灸治療・身体調整と対話の提供 ・理論を落とし込んだ鍼灸院、スタジオ経営を継続中学術的な論理整合性と、実際のスタジオ運営という事実を積み重ねている実践者です。 頭の中の物語から自由になり、身体の合理性に沿って生きる。そのための「教養」を、本講座で余すことなくお伝えします。大沼竜也。鍼灸師で身体理論家。ソマティックスタジオ主宰。 鍼灸師の臨床でのクライアントワークから身体知性の探究へ。 心理学や自己啓発で解決しきれない「内面の不自由さ」を、身体という物理的な事実から紐解くアプローチを提唱。 現在はスタジオを拠点に、オンラインとオフラインの両軸で、人が本来の力を取り戻し、健やかに生きるための基盤づくりをサポートしています。
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頑張るのをやめたら、人生がうまくいき始めた理由。
「頑張る」という言葉の意味は、人それぞれなんとなく違う。言葉の呪いから解き放たれるためのちょっとした考え方の違いで、体のこわばりが解ける方法を紹介。このポッドキャストでは、サポーターの皆さんからいただいた質問にお答えしています。「自分の身体ともっと対話したい」「頭ではなく、身体の感覚から生きる軸を育てたい」そんな方々と共に学び続けるコミュニティが、ソマティックスタジオの「身体の教養」です。月額¥3,300で、動画講義や限定コンテンツ、質問投稿の機会をご用意しています。▼ 大沼竜也について詳しく知る・サポーターになるhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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「深い呼吸」をするためにはこれをやってみて
努力や意志の力で自分を変えようとするほど、心身が不自由になっていく。 せっかくの休日なのに休めない、人間関係で同じ緊張を繰り返す。その原因は、脳が生存戦略として選んでしまう「不合理な固定回路(悪き癖)」にあります 。 あえて特定の制限(型)を用いることで、身体本来の可能性である「身体知」を引き出すためのプログラムです 。身体心理学、現象学、神経科学を横断した独自理論の構築 ・17年にわたる身体知性の探究と臨床実践 ・対人支援の専門家(カウンセラー・セラピスト・施術家)への理論提供 ・自分をいたわりながら進める、身体の自律性を尊重した学習体系身体知性を社会実装する場「Somatic Studio (ソマテティックスタジオ)」の運営 ・日常の中で感覚を磨き続ける「メンバープラン」の展開 ・仙台拠点を中心とした実対面での鍼灸治療・身体調整と対話の提供 ・理論を落とし込んだ鍼灸院、スタジオ経営を継続中学術的な論理整合性と、実際のスタジオ運営という事実を積み重ねている実践者です。 頭の中の物語から自由になり、身体の合理性に沿って生きる。そのための「教養」を、本講座で余すことなくお伝えします。公式→ @numahari大沼竜也。鍼灸師で身体理論家。ソマティックスタジオ主宰。 鍼灸師の臨床でのクライアントワークから身体知性の探究へ。 心理学や自己啓発で解決しきれない「内面の不自由さ」を、身体という物理的な事実から紐解くアプローチを提唱。 現在はスタジオを拠点に、オンラインとオフラインの両軸で、人が本来の力を取り戻し、健やかに生きるための基盤づくりをサポートしています。
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息苦しさがある人は、呼吸法よりも〇〇をしましょう。
https://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
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生きづらさに苦しむ人は『捉え方』ではなく『身体に目を向ける』べき理由
この動画音声は過去のYoutubeにアップしたものです。広告なしで、バックグラうどでながら聞きできるこちらに再アップしています。生きづらいなあ、と悩める人へ。私自身も経験したこのなんとも言えない嫌な感じ。あれこれと思考を巡らせば巡らすほど、ドツボにハマっていく。心理学でいう「思考の檻」から受け出すための、実践方法も話していますので、ぜひみてみてね。【参考文献・思想的背景】カール・ロジャーズ『来談者中心療法』モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』J.J.ギブソン『生態学的知覚システム』宮台真司『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』このチャンネルが面白いと感じていただけたら、ぜひ【チャンネル登録】お願いします!
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感受性の高いやさしい人は〇〇で生きやすくなる|感情移入で疲れてしまう人の特徴と解決策
人の相談に乗った後、なぜか自分がドッと疲れてしまう…。ネガティブな話を聞いて、自分まで何日も落ち込んでしまう…。「心の境界線がうまく引けない」と感じて、「私が気にしすぎるからだ」「心が弱いからだ」と自分を責めていませんか?もし、その問題の根本原因が、あなたの「心」や「優しさ」ではなく、無意識の「身体の癖」にあるとしたら…どうでしょう?この動画では、「気にしないようにしよう」という不毛な精神論ではなく、誰にでも実践できる“身体的”アプローチで、ネガティブな影響から自分を守る方法を、大沼竜也の理論に基づいて解説します。【動画の要点】今回の話の核心は、身体が心に先立つ、という点にあります。●ステップ1:問題の本当のメカニズムを知る・私たちが最終的に感じる心理状態が「同一化」(相手の感情を取り込んでしまうこと)です。・しかし、その根本原因は、相手の身体の状態(呼吸の浅さ、筋肉の緊張など)を、自分の身体が無意識に模倣してしまう身体現象「融合」にあります。・つまり、「融合(身体の原因)→身体の変化→脳による解釈→同一化(心理の結果)」という、身体が先行するプロセスが起きています。●ステップ2:なぜ「融合」してしまうのかを知る・「融合」は元々、乳幼児が養育者と神経系を同期させ、安全を確保するための、生存に必須の「安全装置(共同調整)」でした。・しかし、成長と共に、自分で自分を安定させる「自己調整」へ移行する必要があります。・この移行がうまくいかない根本原因が、「内受容感覚」(身体の内部の状態を感じる能力)の欠如です。自分の内部状態が分からないため、原始的な安全装置である「融合」モードに頼り続けてしまうのです。●ステップ3:「体」で境界線を引く・真の解決策は、意志の力ではなく、「内受容感覚」を育て、いつでも「自分の身体」というホームに帰ってこられる能力を養うことです。【今日からできる3つの実践ワーク】1.アンカリング(今、ここに帰る練習)相手の話を聞きながら、意識の10%でいいので、自分の「足の裏が地面に触れている感覚」や「お尻が椅子に沈む重さ」など、物理的な接点に意識を向け続けます。2.身体の輪郭の確認(自分の領域を知る練習)一人の時間に、自分の手で腕や足をゆっくり、少し圧をかけてさすってみます。「私の身体は、ここからここまでだ」と、皮膚感覚を通して脳に物理的な境界線を教えます。3.微細な感覚のラベリング(融合の初期段階に気づく練習)「不安だ」という感情のラベルを貼る前に、「今、胸のあたりがザワザワするな」「喉の奥がキュッと締まるな」など、身体に現れる微細な感覚そのものに気づき、心の中で実況中継します。これは、他者を拒絶する冷たい壁を作ることではありません。自分が安定した大地に立つことで、初めて安心して相手を眺めることができる。自分も相手もすり減らさない、成熟した共感の形です。あなたの「感情をもらってしまう」体験談や、実践してみた感想も、ぜひコメントで教えてください。#心の境界線 #HSP #共感疲れ #エンパス #ソマティック #内受容感覚 #大沼竜也
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自己批判から抜け出すためには?
自己批判は、自分自身の行動や考えを厳しく評価し、否定的な感情を持つ心理的なプロセスです。このメカニズムは主に、過去の経験や社会的な期待から生まれる内部の声によって形成されます。つまり、自分が「もっと良くなければならない」という圧力を感じたり、完璧を求めたりすることが、自己批判の源となるのです。 社会的・文化的基準: 社会や文化が定める成功の基準や振る舞いに自分が合致していないと感じると、自己批判が生じます。 家庭や教育からの影響: 親や教師から厳しく評価された経験が自己評価の基準となり、自己批判へと繋がります。 個人的な価値観と目標: 自分自身で設定した高い目標に達しない時、失敗したと感じて自己批判を行います。 自己批判はストレスや不安、うつ病といった感情の問題を引き起こすことがあります。また、自信の喪失や進行中の活動への意欲の減退を招くこともあります。 自己同情: 自己同情を持つことで、自分の欠点や失敗を受け入れ、それに対して優しく接することができます。 リアリスティックな目標設定: 達成可能な目標を設定し、その過程で自分を褒め称えることで、自己批判を緩和します。 認知の再構築: 自己批判的な考えが浮かんだ時、それが事実に基づいているかどうかを問い直し、よりバランスの取れた考え方を心がけることが助けになります。 自己批判を減らすことは、自己理解を深め、精神的な健康を向上させるための重要なステップです。 自己批判の主な原因自己批判の影響自己批判を減らす方法 📱 Instagram: https://www.instagram.com/numahari/ 🎥YouTube: https://www.youtube.com/@numahari 📚 オフィシャルサイト: https://numatatsu.com/ 皆様からのサポートに心から感謝いたします。 この情報が皆様の人生にポジティブな影響を与えることを願っています。 質問やコメントがありましたら、 ぜひ下のコメント欄でお聞かせください。 #身体心理学 #睡眠改善 #自律神経失調症 #不安障害 #パニック
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ABOUT THIS SHOW
大沼竜也(おおぬま・たつや)鍼灸師。1991年宮城県生。身体の教養──自分の身体の状態を感じ取り、自分で調整できるようになること。読み書きと同じように、誰もが身につけるべきリテラシーだと考えています。漠然とした不安、疲れ、行き詰まり。その原因を思考で探しても、また同じ不調が戻ってくる。身体の状態が変わっていないからかもしれません。身体は常に何かを感じています。あなたが気づいていなくても。この「感じ」が、気分も判断も行動も──暮らし全体を方向づけています。身体の構造を知り、自分の身体に通し、感覚が立ち上がる。コーヒーを飲む、本を開く、誰かと話す。行為は同じでも、身体の状態が変われば暮らしの質が変わります。自分の手で触れ、ゆすり、さする。感じて、解いていく。僕はこれを身体動態瞑想と呼んでいます。瞑想は身体的な行為であり、感じ解いていくことです。変われないのは、あなたのせいではありません。身体が固まったまま思考だけで何とかしようとしている構造のせいかもしれない。この番組では、身体の教養という視点から暮らしを見つめ直します。▼ 話している人についてhttps://www.somaticstudiojapan.com/tatsuyaonuma
HOSTED BY
大沼竜也
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