PODCAST · arts
永瀬清子の世界
by 永瀬清子の世界
岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しるべにしたり、人生を一緒に歩いてくれるようです。
Episodes
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#134「履歴」
詩が「朝紅(あさやけ)も夜の闇も」降りてきて、「地に噴きあげた泉」のように詩を書いた日々。「無限に砂がつまり」詩が書けない日々。若かった頃と年を重ねた今を比べながら、「私」は詩を書き続けた日々を振り返っています。「本当は詩を書くことも好きではないのです」は、心からの「私」の言葉なのでしょうか。この言葉には、詩に対する複雑な気持ちが混じり合っているようです。「悲しみとたのしみは同じものです」と書かずにいられなかった「私」は、詩を書くことの「悲しみとたのしみ」が分かちがたく結びついていることを、身をもって知っていたのでしょう。「せいたか泡だち草」は、外来種でありながら新しい環境に適応して繁茂する旺…
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#133「短章『お皿』」
秋のお祭りの準備で忙しいけれど心躍る時間。娘とお鮨を作るうれしさで、いつも以上に「夕ぐれの空と光線」の美しさを感じていたのかもしれません。そうした喜びが一転したのは、「好きなお皿が、好きなお皿にぶつかって割れ」てしまったからです。そして「私」は母であることを忘れ、娘のことよりも、割れたお皿の思い出が瞬時に駆け巡り、「身をよじる執着の気持」にとらわれてしまうのです。瞬時に「惜しみの言葉がどんどん出ていってお皿をもとにしようとした。」までの「執着」。当然ですが娘とお皿の価値を比べていたのでありません。美しい物が失われてしまったばかりか、単なる物ではなく「私」の一部のようだったお皿が割れてしまった。…
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#132「短章『花と枝』」
永瀬清子は、道ばたに咲く草花を見つけると、植物図鑑で調べていたことを随筆などに書いています。見知らぬ花の名前を知ることから始まる、「ひろい世界の不思議を子供の心にともそう」、「云いがたい愛を名知らぬものに託そう」という思いには、未来へのまなざしが感じられます。今日の夕ぐれに「私」が採ったのは、「水竹葉(いぼくさ)の花」でした。水田の畦によく見られる草ですが、この日「私」は、初めてその美しさを発見し、名前とともにその花に強く惹きつけられています。草花にまつわる思い出は、父親のおみやげ、昔読んだグリム童話やペロー童話に結びつき、大人になったときに花開くようにその意味を知るのです。永瀬清子が「ふしぎ…
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#131「土砂について」
自然の前では、「人々」がどれほど知恵を集めても、かなわないことがいくらでもあります。永瀬さんはこの詩で、「土砂」を擬人化して「人々」と比べながら、「土砂」になりきってその気持ちを伝えています。いつもは静かにそこにあり、当たり前の存在である「土砂」。しかし、ひとたび大雨となれば、どれほど力を尽くしても「人々」にできることには限りがあります。「土砂」の行き先は地形によって変わりながら進み、「自分で自分の道をつけた」とあるように、突き進んで止まりません。これは、世の中の動きや人とのかかわりなど、さまざまなことにも通じています。思いがけない時に思いがけないことが、あっという間に起きてしまう。どうにかで…
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#130「不完全な曲」
友達が「私」にくれた琴は、昔弾いていた琴よりもずいぶん小さな琴です。「私」が、その琴を「飢えかわく人のように」弾く姿は、これまで心の中に溜まっていたものが堰を切って流れ出すかのようです。そして心はどこか遠くの世界へ向かって、はばたいていく力を得たかのようです。戦いの続く「修羅世界」に生きる「私」。琴を弾いている時だけは、戦いを忘れられるのでしょう。自分が弾くには小さすぎる琴で、いろいろな鳥の曲を時に間違いながら、琴柱(ことじ)を直しつつ「不完全な曲を窮屈にひく」ことは、不完全なままで生きる「私」の姿そのものです。完全な曲を弾きたいと願う心と、「現実世界」で戦う「修羅世界」。「不完全な曲」は、生…
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#129「短章『幼かりし日 e 瓦斯燈』」
永瀬清子さんは、2歳から16歳の間金沢で暮らしました。明治の終わりから大正時代にかけてのことです。金沢では、この世の神秘や不思議を感じさせる出来事に触れることがあり、それを一種の皮膚感覚として受け取っていたようです。昔話、グリム童話、ペロー童話、神話などを読み、古くから伝わる子守唄やわらべ唄を聞いていたこの頃の永瀬さん。「自分たちもそんな話をひとりでに空想し云いつたえた」ほど、そこに暮らす人々にとっては、現実の世界と神秘的な世界が自然に重なり合っていたのでしょう。これらは、「戦慄すべきことが多く」とあることからもわかるように、めでたしめでたしで終わるような話ではなく、現実の悲しみや厳しさを伝え…
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#128「出ていった三章 a 出ていった」
道ばたからふと見えた「門から座敷まですっかり見えている」家の中。家から出ていったのは、そこに暮らしていた誰かで、この世を去ってしまい帰ってくることはありません。空っぽになった家は、これから誰が住むのかもわかりません。門のそばの紫苑がうつむいているのは、枯れてしまったからなのでしょう、まるで帰らぬ人の姿のようです。その家を見た「私」は、「赤坊を生んだばかりの女のようだ」と思うのです。出産によって「女」の体から子どもが出ていき胎内が空っぽになるように、大切な存在が「出ていった」空間の喪失感を重ね合わせているのでしょう。人が生まれるのは、この世へ出ていくことであり、亡くなるのは、この世から出ていくこ…
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#127「一九八八年夏 ⅱ あじさい」
永瀬清子は、植物を愛しており詩には百種類を超える植物が登場します。アジサイもそのひとつです。この詩では、友達から貰ったアジサイを「長いつきあい」と表現しており、アジサイを贈ってくれた友達への親しみとともに、アジサイそのものにも友達のような温かさを感じている「私」のまなざしがあります。だからこそ、八重に咲くアジサイを水切りして生け直し、大切に世話をするのでしょう。「藍の色の濃淡で...
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#126「短章『平和の詩について』」
平和について詩を書くことの難しさを語る短章です。戦争の時代を知る人が、知らない人たちに対して「なぜ戦争が恐ろしいのか、雪崩か渦に巻きこまれるようにすべて傾いたのか」を伝えるためには、「説得力」や「必死」の思いが必要だと述べます。さらに「悩みも、うめきもなく合言葉を入れる」ことで、大義名分が立ったと考えることにも疑問を呈しているのです。このことは、私たちが、今なお世界で起きている戦争について知り、平和について考えるときにも当てはまるのではないでしょうか。その時代を生きた人でなければ判らないことを理解しようとする難しさ。戦争を知る永瀬さんだからこその切実な思いが、短章で疑問を呈する「私」に託され、…
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#125「夏草が」
夏は、草が勢いよく繁っていき地面が見えません。抜いても刈り取ってもすぐに新しい草が伸びてくる様子は、まるで何かに追いかけられているようです。この状態は、何をどう書こうかと迷う「私たち」の混乱した頭の中の絡まり合った草むらのようです。「私たち」は、その草むらの中をかき分けるように、まず書いてみることで、初めて自分が書こうとしていたことが判り「新しい道にやっと出会う」というのです。つまり「判らないから書く」とは、まずは行動に移すことが大切だということです。最初から頭の中で構成を組み立てるのではなく、書いていくことで自ずと書きたいことが草むらの中から姿を現し、なぜこのことを書きたいと思うのか、このこ…
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#124「夏日の蛇」
ある夏の日に見つけた〈蛇〉をめぐる「私」と「子供」との日常の一コマです。「藍と青の絣模様」ならば、アオダイショウなのでしょうか。同じ〈蛇〉でも「子供」の感じ方は、昨日と今日では正反対になっているのです。単に観察するだけならば「興味ふかく」思うだけでも、テリトリーに入ってこられると落ち着いてはいられません。一方で〈蛇〉は、気にも留めず「きわめて悠然と」叢の中に消えていきます。それは、世間との距離の取り方を知っている成熟した生き物のふるまいであり、「子供」と〈蛇〉の成熟度の違いを感じさせられます。「子供」はいつか〈蛇〉のように成長していくのだろうと、「私」はふと思ったのかもしれません。だからこそ「…
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#123「短章『痛覚』」
自分の痛みを伝えることは難しいことです。感じた痛みを言葉にしても「他人にはただ言葉であり、目盛が見えぬ」ために、相手は想像するほかありません。もしかしたら、想像さえしてもらえないこともあります。さらには、痛みを訴えた途端、それをきっかけに相手の自分語りへと話がすり替わり、うんざりしてしまうこともあるでしょう。こうした痛みも相手に深く届くことはなく、ただの話題として消費されていきます。だからこそ「(死の壁をいや応なしに越える時に)あたってやっと驚く」のかもしれません。「もう少し早く知っていたら」という取り返しのつかない思いをしても、誰かの痛みを自分の痛みのように捉えることは、なかなか難しいもので…
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#122「短章『塩・砂糖』」
塩と砂糖を間違えるような、うっかりミスは誰にでもあることです。そうした間違いは、そのまま単なる失敗として片付けられ、「私」が不注意な人間だという評価だけで終わってしまいがちです。どうして「私」がうっかりミスを起こしたのか、他の誰かがその理由を日常生活の中で考えることがあったとしても、それは表面的なものにとどまるでしょう。ところが「私」自身は、起きた出来事の背後にあるものや、自分が背負っているものといった、出来事の向こう側に思いをいたしているのではないでしょうか。ここでは具体的にふれられていませんが、「私」には、あえて言わなかったミスの理由があるのです。そこには、どうせ言っても理解されないだろう…
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#121「無色ノ人」
永瀬清子は、随筆「私の詩」(『農民芸術』第6集...
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#120「風は」
「風」と「私の詩」は、欠けているものを埋めようとするという点で共通しています。「西側の窓が開いていなければ/東風は入りません」とあるように、閉ざされていれば風は通り抜けられず、そこに開かれた場所があってこそ、はじめて風は吹き抜けることができます。「小さな流れのように」咲く朝顔もまた、「風」と同じく「ひきつけられる流れ」を体現しています。そして、「完全には開けないでいる」朝顔の花の姿は、まだ咲ききれない部分を残している「私の詩」のあり方と重なります。朝になると小さな朝顔は咲き、やがてしぼんでしまいます。その限られた時間に咲く花の姿に重ね合わせるかのように、「私の詩」がいつか鮮やかに開花することを…
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#119「短章『唇』」
永瀬さんが暮らしていた松木の辺りでは、6月半ばくらいから田植が行われます。田植は永瀬さんにとって印象深い出来事だったようで、詩や随筆にもたびたび登場します。田植が終わったばかりの田に、二子に分かれた山の頂上が映り、唇のように見える風景は、後に詩「アンターレス」(『春になればうぐいすと同じに』)にも登場しており、永瀬さんが好んだ風景だったのでしょう。けれども、苗が生長して水面が見えなくなると、この風景は消えてしまいます。「お祭のようにたのしい」共同作業の田植と、「拷問のように苦しい」子供と二人だけの田植。にぎやかさと過酷さという、対極にあるような時間を経て、田植の終わった風景を静かに心に刻む「私…
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#118「短章『雨について』」
「私」は、岡山から東京へ向かう新幹線の窓から、雨と一緒に旅をしているかのように景色をながめています。雨を追いぬき、追いつかれながら走る新幹線。雨に濡れた道路は紺色、小学生の雨傘の赤や黄色の色、雨は「大きな銀色のスカート」、それぞれが鮮やかな色とともに、景色が目の前に浮かび上がります。ていねいな描写を重ねた後、一息に発見を語るのです。それは、東京に着いた「私」は、雨は空から地面まで垂直に降ってくるのではなく、「雨は横に走ってくるものだ」ということでした。「横に走ってくる」とは、強い風による横殴りの雨ばかりでなく、雨雲の動きと時の移りにより、雨が新幹線を追いかけてくる様子をそのように捉えたのでしょ…
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#117「合唱組曲『燃える故郷 ――六月二十九日の歌 一章 旭川』」
永瀬清子さんは、1945年6月29日の岡山空襲を伝える合唱組曲「燃える故郷」の作詞を手がけました。作曲は木下そんきさん、初演は1981年6月、岡山合唱団によるものです。七章からなる組曲の第一章は「旭川」です。岡山県の三大河川のひとつである旭川が擬人化され、河の流れは岡山空襲の夜の出来事を「河はいまでもおぼえている」、「忘れずうたっている」と私たちに語りかけてくるようです。永瀬さん自身も戦争体験を詩や随筆などに綴り、講演会で語り続けてきました。「一章 旭川」には、語り部としての永瀬さんの姿が重なって見えてきます。岡山空襲の記憶は、合唱組曲としても確かに刻まれているのです。<文・白根直子>
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#116「苔について」
永瀬清子さんの小さなもの弱いものへのまなざし。そのまなざしが向けられたもののひとつにコケがあります。在野でコケの研究を続けた井木張二(いぎ...
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#115「夏花」
詩「夏花」は、永瀬さんが赤磐で農作業をしていた頃に書いた詩です。「私」は、井戸のそばに咲きはじめた葵の花を見つけ、その美しさに目を留めます。花が咲き始める姿は、刻々と変わっていくので、その美しさを急いで絵に描いてとどめたいと願いました。けれども農作業にも、その時にしなければならないことがあります。サツマイモの苗を植えるのもその一つでした。そこで「私」は、紙ではなく「心の底にのみ」葵の花の美しさを刻みつけるのです。「もろさの故に強くあざやかに——。」には、刻々と変わる美しさという「無限のはかなさ」と、それを「私の心の底にのみ」とどめるしかないという「もろさ」が重なっています。これは、瞬間の美しさ…
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#114「短章『右手』」
「私」は〈右手〉が利き手なので何かをするときには、自然と〈右手〉を使います。疲れや痛みがあっても、左手よりも使いやすいために、かばいたい気持ちもありながら、つい頼ってしまうのです。〈右手〉は、「働きたがる」と「かわりたがる」という、相反する気持ちの間で揺れています。つまり〈右手〉は、休めず働き続けること、常に頼られ続けていることの象徴です。物事をスムースに進めるためには欠かせないのに、大切にしてもらえずに働き続け、当たり前のように頼られてしまうのです。もしかしたら、「私」自身も〈右手〉のように働き、頼られ続けているのかもしれません。この理不尽に気づいてもらえるだけでも、〈右手〉のような立場の人…
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#113「短章『紫』」
話し始めた時に話の腰を折られる経験は、誰しも経験があるのではないでしょうか。「彼女」の言葉は、「私が詩人であるという事だけ知って」いるので、詩人ならばこう考えるだろうという思い込みでしかありません。そのために「私」は、「私のことばを本当に聴いたり待ったりするやさしさ(又はまじめさ)を持たない」と憤慨してしまうのです。「彼女」が、「私」の話そうとしていることをわかっているとばかりに話したり、そこから「彼女」の自分語りになったりしては、二人の会話は成り立たずすれ違うばかりです。「鉄線の花」は、そんなやりとりをよそに静かに咲いています。誰かに何かを伝えることの難しさを感じないではいられません。<文・…
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#112「出ていった三章 b 焦げついた」
焦げついた鍋とその中身についても、永瀬さんは詩に書きました。何かが煮立ち、沸騰して泡立つ鍋の中は、まるで「私」の「生」のように様々な出来事が渦巻いています。つまり鍋は「私」の象徴であり、「生」とは、気力も体力も満ちあふれる命そのものが、鍋の中で勢いよく渦巻いている様子を指すのでしょう。そのような鍋の中身もだんだんと少なくなっていき、「るすが私を占める」ようになっていきます。「るす」は、「『死』よりもっとかわいそうな」ものとあることから、気力はあっても体がついていかないアンバランスの象徴です。やがて、その気力さえもだんだんと失われていき、老いていくために鍋の中身は焦げついていくのでしょう。老いて…
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#111「かなざわ」
岡山で生まれ、2歳の頃に金沢で暮らし始め多感な時期を過ごした永瀬さん。その後、名古屋、大阪を経て東京で暮らしていました。この詩を書く7年前に発表した随筆には、「しかし日本全国のどこよりもその昔の金沢が私の故郷である」(『北國新聞』1936年8月6日)と書いており、詩「かなざわ」には、ふるさとへの思いが込められています。この詩には、反歌二首が添えられました。反歌とは、長歌の内容をまとめたり補ったりしている短歌のことで、万葉集に多くみられます。永瀬さんは、石川県立第二高等女学校卒業後、尾山神社で旧制第四高等学校の鴻巣盛廣(こうのす・もりひろ)教授に万葉集の講義を受けていました。反歌二首を添えて金沢…
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#110「短章『固定剤』」
時間が人を作っていくことを感じる短章です。物が動かないように固定する「固定剤」は、用途に合わせていろいろな種類があります。年を重ねた「私」の固定剤は、他ならぬ〈老い〉でした。くたびれて背中を丸くしているほうが楽になっていくのは、それだけ長い間体を使ってきた証拠です。体は正直に〈老い〉という「固定剤」を受け入れていきます。「固定剤」は、現状を維持したい場合には心強いものですが、立場が人を作るように望ましくないことも隠したいことも容赦なく、その人の生き方として姿に定着させていきます。そしてこのように〈老い〉を冷静に受け入れていく「私」の姿とともに、それを「固定剤」にたとえる眼差しには、どこかユーモ…
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#109「短章『小鳥の声』」
小鳥の声を聞き取り書き表そうとするのは、なかなか難しいことです。あの複雑な声をどう書いたらいいのでしょうか。だから「PECHAKUCHA」とローマ字で書いた詩を読んだとき、「私」は小首をかたむけてしまいました。だからこそ「私」は、ミソサザイの鳴き声を書いた宇野善三さんの本を読んで感嘆の声を上げるのです。近年、動物言語学という世界初の学問分野を切り拓いた鈴木俊貴さんは、シジュウカラなど鳥の言葉の研究を続けたことで鳥の言葉がわかるようになったそうです。小鳥の声を書き表すのも、言葉がわかるようになるのも、その生態を長年にわたり観察してきたことにほかなりません。このことは、単なる表記の問題だけではなく…
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#108「いつまでもあるものそれはない?」
「いつまでもあるものそれはない?」という題名に、はっとさせられます。「いつまでもあるもの」とは何でしょうか。形あるものは壊れていき、思い出は忘れ去られてしまうならば、自分が残さなければ消えてしまうものかもしれません。年老いてしまった「私」の心に聞こえてくる「やさしい声」。それは、他の人には聞くことのできない「私」だけに聞こえてくる声です。そうした声を自分の中に持っていることは、幸せなことだと思います。その声が、これまでの「私」の歩みの中で「私」を励まし守り続けていたのかもしれません。<文・白根直子>
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#107「私は」
「世間みず」で「井の中の蛙」のような「私」。かつては、自分の「狭さ」や「ある部分しかピントが合はない」ことを「欠点」と思っていました。しかしこの「欠点」は、隠すものではなく肯定すべきものだと考えているところにこの詩の魅力があります。たとえば、昼間のいつもの明るさの中では感じにくい光でも、闇の中では、「少しのすき間から一直線にさしてくる光」は鮮烈な光として届きます。そのように「私」は、自分の「欠点」を生かして、「私」でなければ見えないものを捉えようとしているのではないでしょうか。闇が深ければ深いほど、差し込む光の強さは際立ちます。そしてその光のように「私」の見方を深めていくことは、いつか自分自身…
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#106「いつかいつか三章 c木瓜(ぼけ)」
「いつか」という願いは、永瀬さんの詩を貫くもののひとつだと思います。春に花を咲かせ、秋に実を結ぶ。それは、誰に知られることもなく繰り返される自然の営みかもしれません。ところが「私」は、木瓜と心を通わせ、「いつか」という願いを託しているのです。人知れず実った木瓜の実は、「私」ならば価値を認めてくれるのだと信じているかのように、「私」の足許に落ちていました。そのものの持つ価値を見抜くことができるのは、その人が平素から何を見つめどのように考えているかにも拠ります。「私」は、「口が曲がるほどしぶく」思われた木瓜の「無用の種子」を蒔き、「その渋さを又もや我がものにと――」と願います。これから花を咲かせた…
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#105「心の底では」
「ホントの心」で通じ合うことを心の底で願っていても叶うことはない。「義理と思惑」で動く世の中では、心は届かないという嘆きばかりです。では、「ホントの心」とは何なのか。嘆くしかないのでしょうか。仮に「ホントの心」が届けば、全ては解決するのでしょうか。この詩は、これらの問いに答えを与えてはくれません。なぜならば、これらは人生の不条理ともいえる、誰にも答えられない問いだからです。ここで漢字の「本当」ではなく「ホント」とカタカナで表記することで、重い主題に独特の軽みを与え、読者の心に入りやすくなっています。詩人の井坂洋子さんは、「現代詩は、習熟した答えよりも問いの深さに軍配をあげ、自分サイズの完成より…
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#104「見えても見えない三章 aミモザ」
ロウバイ、レンギョウ、タンポポ……そして、ミモザ。春に咲く黄色い花は、景色を一度に明るく暖かくしてくれます。春の訪れを待ち焦がれる「私」は、「十三週間以上も待たせた」と花咲く日を楽しみにしていました。けれどもやっと咲いた時には、その花を見に行くことができず遠くから小さく見えるだけ。それでも、人知れず咲くミモザが、「私にだけは見え」ていたのです。「東山」は、岡山駅前から岡山市中心部を走る路面電車の終点の駅です。永瀬さんは、車窓から見える景色を詩に書いており、この詩もそうしたひとつです。「見えても見えない」ほどかすかな、けれども確かな春の訪れを見つめる「私」。春は、約束を破ることはない友達のように…
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#103「短章「サンドペーパー」」
サンドペーパーが木材や金属をなめらかにするかのように、みつめられて美しくなり光りだす。みつめることは、その人への温かな関心の表れであり、みつめられることは、その関心を自らのものにすることなのでしょう。たった一人でも理解してくれる人がいるだけで、励まされて前に進めるような気持ちになったり、新しく生まれ変わったかのような気持ちになれたりすることがあります。人知れず咲こうとするその姿を知っているのは自分だけかもしれないけれども、それをどこかで見てくれる人がいること、自分では気づかない成長を誰かが見守ってくれていることを知ればその喜びは格別でしょう。そして、自分のことを見つめてくれる人がいてほしいと願…
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#102「短章「もしも私が」」
私たちは、生きている限り、強くもなれば弱くもなります。その強さや弱さの表れとして「人は裏切ろうと思わずに人を裏切る」うえに「自分は自分をも裏切る」ことになるのかもしれません。そしてこれは昔からの「人間のかたち」とあるように、人間が人間である以上避けられない「悲しみ」なのかもしれません。つまり、「もしも私が死んだら」という仮定は、生き物としての「死」ではなく、「裏切る」ことによる心の「死」といえるでしょう。たとえ「私自身は人を裏切るまい。」と心に誓ったところで、そのことにより誰かを傷つけ、結果として悲しみをもたらすことさえあるかもしれません。そんな逃れられない人間の矛盾が描かれています。<文・白…
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#101「短章「あわれみが」」
すべてを解決するのは、「愛」ではなく「あわれみ」なのかもしれません。ならば、「愛」と「あわれみ」の違いは、どこにあるのでしょうか。そしてなぜ今、「あわれみ」だと思うようになったのでしょうか。「まっすぐに流れる河はない」とあるように、人生も物事も順調に進むばかりではありません。「抵抗なしに進む考えはない」とあるように、悩みや迷いが生じ、思いがけない流れに巻き込まれてしまうこともあります。そのように人生も物事も、いつも私たちに問いかけてきます。この問いを受けた、「悲しめるもの」が「骨を曲げて」眠る姿は、まるで河底の石のようです。上流から流れに任せて転がり、角が削られ丸くなっていく石。濁った水が清ら…
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#100「短章「悲しめる友よ」」
配偶者との別れは避けがたい現実です。永瀬さんは、そうした現実を見据え「男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない」と述べ、このことを「女性の本当の仕事」だというのです。これは、どういうことでしょうか。年を重ねた永瀬さんは、男性と女性について「本当はどちらが居なくてもうまくやれぬことは同じである」と考えるようになりました。そして、「相手が自分に何もしてくれない、と云う事はすぐ考えつくが、自分が相手にどれ位の事をしてやれたかが判るのは一生かかっても判らない」(「女性・この被うもの――婦人論についての素朴な考え」『伝統と現代』1977年9月)と考えていたのです。こ…
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#99「短章「腕なき鬼」」
短章「腕なき鬼」では、歌舞伎の「綱館」を観て、「老いた女性の枯れて美しい魅力」とともに、戦いに負けた人にも「正当な理由がある」と思いを寄せています。そしてこの思いは、女学生の頃に読んだ古代英語で書かれた英雄叙事詩「ベオウルフ」の梗概をもとに書いた詩「グレンデルの母親は」に通じるものでした。この授業を行ったのは、夏目漱石の一番弟子・中川芳太郎です。こうしたエピソードから愛知県第一高等女学校高等科英語部での学びが、詩人・永瀬清子の礎となったことがうかがえます。「鬼の方に却って最後の勝利を与えている」ところを好ましく思った永瀬さん。「自分の詩の源流」に気づき「最後の勝利」を願うとしたならば、永瀬さん…
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#98「短章「季節 a 電柱」
春が待ち遠しい頃になりました。春を愛した永瀬さんのまなざしには、驚かされることばかりです。「私」が何気なく見ている、電柱のネーム・プレートの春夏秋冬の光。その光を敏感に感じている「私」は、「友なき者」である電柱のネーム・プレートで春の訪れに気づいているのです。「私」も電柱も実は一人ぼっちだからこそ、誰よりも早く春の光に気づくというこの発想。友達とにぎやかに過ごす喜びとはまた違う、「友なき者」だからこその豊かさに気づかされます。そしてそのように春に気づく「私」も電柱も、実は「友なき者」ではなく皆、友達だったのだと気づかされます。<文・白根直子>
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#97「短章「地の人の声」」
永瀬さんと地元の人たちが乗り合わせたバスの中では、いろいろな話題が交わされていたようです。今際の際に遺された言葉をめぐって、それぞれが亡くなった人に思いを寄せ、我が身に引き寄せている様子を「かすかな声でなにか笑ったような感じ」で、「共感の意を表わした」ことに、しみじみとした思いやつながりが感じられます。「地の人の声」とは、地元の人々が方言で語る声であるとともに、この世からあの世へ旅立った人が、地の底から静かに届けている声のようにも思われます。その声を聞き取り、受けとめ、伝えることによって、私たちはあらためて自分自身の生き方を見つめ直すのです。<文・白根直子>
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#96「短章「反衛生」」
永瀬清子さんは、57歳から岡山県教育庁の中にある、世界連邦都市岡山県協議会事務局に勤め始めました。年齢や仕事のみならず様々な問題を抱えていたこともあり、体調はすぐれなかったようです。それでも若い人に頼みたいことでも自分でやり、「私自身の生命はつねに私に教えてくれる」と「悩め」「力をつくせ」「戦え」「一歩出ろ」という心持ちでいたことがうかがえます。後年の随筆では、年を重ねていく中で得た気づきをいくつか記しています。そのひとつが次のことです。「自分の肉体の状況がよくわかること。そのためには感覚を鋭敏にするため飲、食、その他をむさぼらず、無理しないこと。仮に病気がきても早期に気づき、できれば自力で自…
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#95「短章「星の援護」」
永瀬清子さんの詩「熊山橋を渡る」は、吉井川に架かる熊山橋を舞台に、詩を書く仲間と出会った喜びを書いた詩です。永瀬さんは、この詩を発表した翌年の1949年3月、天文学者の本田實さんと植物学者の吉野善介さんとともに、第1回岡山県文化賞を受賞しました。それから年月を経たある時、その本田實さんが永瀬さんの詩「熊山橋を渡る」を朗読してくれたことがありました。詩の魅力は、作者自身の発見にとどまりません。読む人が作者の気づかなかった一面を見出すことで、いっそうその詩が深く心に響いていきます。そしてその気づきが、作者にとっても新たな発見となり喜びとなっていきます。本田實さんの朗読は、永瀬さんに大きな力を与えて…
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#94「春の夜のしなさだめ」
新しい年を家族で過ごした時の思い出の詩です。家族であっても知らないことや気づけないことはあるものです。娘たちは、父が若い頃の母の姿を胸の中に抱いていたことを知りませんでした。その後、「母の若かった時の写真」が見つかり、父の胸にあった母の姿を目の当たりにした娘たち。「若かった時」の外見が美しいことはもちろんでしょうが、父が「嫁に来た時と今もちっとも変わらんねえ」と言ったのは、それだけではなく結婚当初と変わらぬ愛情を互いに持ち続けていたことがこの言葉を言わせたのでしょう。二度と戻らない家族での団らんと、その時には気づかなかった両親の心。愛情深い二人に育てられた娘たちの幸せも感じられます。<文・白根…
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#93「美しい新年」
あけましておめでとうございます。新しい年をこの番組とともに迎えてくださり心より御礼申し上げます。永瀬清子さんは、新しい年を迎える喜びをいくつもの詩に託してきました。本日ご紹介する「美しい新年」も、そのひとつです。この詩では、「新年よ」と繰り返し呼びかけています。そこには、抑えきれない喜びがあふれ、詩全体がきらめく光をまとっているように感じられます。とりわけ「沢山の固い蕾を/人のみえない所にそつとかくしてゐる」という一節には、私たち一人一人が願いや希望を心に抱いていることが示されています。そして「心に沢山の蕾を持たう」という言葉からは、その「蕾」を持つことの大切さと、やがて花開くことを願い誓う心…
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#92「黙っている人よ 藍色の靄よ」
「あなた」と「私」は、長い年月をともにした夫婦です。あまりにも近くにいたからこそ、そのありがたさや優しさを当然のように受け取ってしまっていたのでしょう。「私」は、「あなた」がこの世を去ってしまった悲しみとともに、生きているときには言えなかった、この世を去らないと気づくことができなかった迂闊さを悔いています。それでも、「あなた」の愛を微塵も疑うことなく、今なお「私」を見つめてくれていると信じてやみません。そんな「あなた」の「私」への「藍色の愛」は、「藍色の靄」なのです。先の見えない霧ではなく、うっすらと見えそうで見えない「靄」。この世とあの世の境を感じつつも、どこかで見守ってくれている「あなた」…
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#91「冬が来るとは」
永瀬清子は、2歳から16歳まで金沢に暮らしていました。金沢の冬の思い出が「肌ざわり」、雪景色、「子守唄」などの感覚的な断片で数珠つなぎのように語られています。そうした思い出だけでなく、「母の黒いえりまき」を取り出して身につけることで「母の思いが自分のものになった。」と実感しています。ここでは、目に見え手に取れるものとしての思い出と現実が描かれているのです。さらに、このように季節を感じることは人によって違い、その違いが人格にも表れ、「人間の柱になっている」と考えているところに注目されます。つまり、人それぞれの春夏秋冬の経験をどのように感じるかの積み重ねが、人格形成につながっていくというのです。こ…
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#90「クリスマス」
「クリスマス」は、永瀬さんが松木の家で暮らしていた頃に書いた短章です。12月になるとクリスマスのイルミネーションが輝き、きらびやかな夜景が見られるようになります。赤と緑と金色で彩られるクリスマスのディスプレイ。クリスマスソングが流れ、寒いながらも街全体が楽しげな空気になる頃です。ところが、「この田舎では何一つクリスマスらしくたのしげなものはない」と冬枯れて静かな日常の風景を描写します。そこには、「東の山の上にオリオンが、すばらしく新鮮に輝いているだけ」です。そのオリオンの輝きが永瀬さんの心を捉えました。東方の三博士が星に導かれてキリストのところへたどり着いたように。だからこそ「それがクリスマス…
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#89「あけがたすこし癒える私」
仕事をどうにかやり遂げて、疲れて泥のように眠る中で見た夢。「それはこわい夢だった」と、まるで自分の疲れや不安が作り上げたかのような夢でした。「現実の私なら絶対に云えぬこと」を言ったがために、はげしく後悔をしてしまいます。「まるで目もくらむ首との取引」、「誰にも助けて貰えないのに」など読んでいるだけでも身につまされます。ところが「私」は、こうした夢を見たことを、「夢が私をきっと治癒した」と肯定的に解釈し、その一方でまだ夢に引きずられるかのように「すこし癒やされて」いることで自分を失っているかもしれないとの疑問を持ちつつ、新しい一日を迎えようとするのです。いつも新鮮な気持ちで過ごそうとする「私」と…
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#88「にせ物語 a 負ぶい紐」
「にせ物語」は、「昔、男があった」で始まる「伊勢物語」の「こころにならい」書かれた短章です。偶然、久しぶりに再会した知人の男と昔話をして別れようとする時、「男」が負ぶい紐で「女」の背中に幼な子が落ちないように力を込めてしっかりとくくりつけるその一瞬で「女」の心をすくい取っています。「ぐうだらの彼女の夫」はそのようにしてくれたことはなく、「女」は、自分の伴侶の選び方が誤りではなかったのかと思いをいたすのです。ひょっとすると「男」は、たまたま経験があってそうしてくれたのかもしれないし、「夫」は、不器用でいつまで経っても加減がわからなかったのかもしれないのに。この時「女」が、「男」にあって「夫」に無…
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#87「季節のごとく」
詩「季節のごとく」は、年老いてやがてこの世を去ることを待ち望む「私」を題材にしています。年老いていくこともこの世を去ることも季節のめぐりのように当たり前と捉え、刻まれていく〈皺〉を樹木の「年輪」のように静かに受けとめていきます。「血を注ぐ」元気がまだある「私」は、そのうち疲れから額に増えていく〈皺〉を思い、自分の終わりを思うのです。〈皺〉に象徴される年齢は、さらに打ち寄せる波にも、降りつむ雪にもたとえられ、死が訪れた時には「大地そのもののやうに冷える」のです。この詩は、老いと死を終わりではなく、自然への回帰と捉えることで、読む者に静かな慰めを与えているように感じられます。<文・白根直子>
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#86「パイプ」
「パイプ」という詩は、日常の夫婦の一コマを切り取ったかのような詩です。このような困りごとは、誰しも似たような経験があるでしょう。自分でなくしておきながら、「私」をわずらわせる苛立ち。どうしてもっと気をつけないのかと思うその背後には、「パイプ」のように「私」も大切にされていない、気にされていないのではないかという気持ちも込められています。そして、この気持ちの向こうにある「貴方」と「私」の関係が見えてきます。「貴方」にとっての「パイプ」は、「ぞんざい」な扱いでなくしてしまうけれど、「なくなれば大さわぎして/一刻もそのままにはすまされない。」と、大切な筈なのに当たり前でなくてはならないものです。「私…
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#85「悲しみだけは」
絵描きの「彼」と「私」の若い頃から続く関係には、複雑な思いが絡み合っているようです。恋心とも想像したくなる「彼」に対する「私」の心。それを裏切るように「私」を試すような「彼」の行動。他の女性と結婚したことや植えられている花々にまで嫉妬心をかきたてられる「私」。年月を経て絵を求められると妻が病気なのにと怒り、妻が亡くなったことを天に帰る天女にたとえて報せる「彼」。一体、「私」は「彼」と、「彼」は「私」とどのような関係を望んでいたのでしょうか。いつも「彼」の一番でありたい「私」と精神的な支えであり芸術の理解者としての「私」を求めていた「彼」。つかず離れず続いてきた二人を結ぶ芸術は、男女の愛とは違う…
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ABOUT THIS SHOW
岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しるべにしたり、人生を一緒に歩いてくれるようです。
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