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PLENUS RICE TO BE HERE

この番組は作家・文献学者の山口謠司が、日本の食文化を通して全国各地で育まれてきた“日本ならではの知恵”を紐解くポッドキャストです。(FMラジオ局 J-WAVE 81.3FM では毎週月曜日から木曜日11:40〜11:50にオンエア中。)Navigator:山口謠司(http://abocavo.a.la9.jp)Sponsor:PLENUS( www.plenus.co.jp) / PLENUS 米食文化継承活動(https://kome-academy.com/)Production:E.A.U(www.eau.co.jp)

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  1. 617

    EP. 669『@宮古島 、其ノ二 - とうきび、サトウキビ』

    トウモロコシの季節を迎え、店頭にはゴールドラッシュやサニーショコラ、きみひめ、ドルチェドリームなど、甘さや食感に個性を持つ品種が並びます。糖度20度に達するきみひめは、スイーツ代わりに楽しむ人も増えているそうです。子どもの頃はトウモロコシではなく「トウキビ」と呼んでいました。「トウ」は外来、「キビ」と「モロコシ」はどちらもイネ科の植物を指し、かつては区別されずに使われていました。その後、それぞれ別の植物と分かり、現在の呼び分けが定着したといわれています。一方、宮古島を訪れると目にするのはサトウキビ。トウモロコシのような実はならず、茎にたっぷり蓄えた糖分から砂糖を作ります。宮古島でサトウキビを手に入れ、自分で煮詰めて砂糖づくりを楽しむのも、夏ならではの味わい方ではないでしょうか。

  2. 616

    EP. 668『@宮古島 、其ノ一 - 宮古島で雪の塩』

    羽田から飛行機でおよそ3時間。美しいサンゴ礁に囲まれた宮古島へ、3泊4日で行ってきました。海で泳いで、頭も体もすっきり。北にある池間島の近くでは、まるでパウダースノーのように真っ白でサラサラな「雪塩」に出会いました。そして楽しみにしていたのが宮古牛。島で育つ黒毛和牛で、なかなか島の外では味わえない貴重な牛肉です。温暖な宮古島では、一年を通して牧草が育ち、牛たちは島の恵みを受けながら育つそうです。その宮古牛のステーキに雪塩をひと振り。これがもう絶品でした。朝、羽田を出れば、お昼には宮古牛、午後は海へ。そんな夢のような一日もできてしまう宮古島。また秋にも訪ねてみたいですね。

  3. 615

    EP. 667『@お醬油 、其ノ三 - たまごかけはん』

    卵かけご飯に合う醤油は何でしょうか。たまり醤油、濃口醤油、薄口醤油。同じ醤油でも、それぞれ味わいや役割が大きく異なります。醤油の原型は、味噌を仕込んだ時に自然とにじみ出る液体だったといわれ、そのまま汲み取ったものが「たまり醤油」です。濃厚な旨味と粘りがあり、味のしっかりしたブリやマグロ、カツオなどの刺身によく合います。一方、大豆と小麦を使った濃口醤油は香りと旨味のバランスに優れ、卵かけご飯の風味を引き立てるのに最適です。関西で親しまれる薄口醤油は、色を淡く仕上げるため塩分を高めて発酵を抑えており、実は濃口より塩分が強め。野菜やかぶなど素材の持ち味を生かす料理には向いていますが、卵かけご飯では黄身の風味が前に出やすく、好みが分かれます。料理の個性に合わせて醤油を選ぶだけで、いつもの味わいが大きく変わります。

  4. 614

    EP. 666『@お醬油 、其ノ二 - たまり醤油、辛口醤油、淡口醤油』

    加賀を初めて訪れた時、お刺身は絶品でしたが、醤油の甘さに驚きました。しかし、何度も足を運ぶうちに、その土地の魚にはその土地の醤油が一番合うと感じるようになります。醤油の味は地域の文化や歴史を映す鏡でもあります。キッコーマンの調査でも、関東は塩味と香りの立った濃口、関西は素材を生かす淡口、九州は甘味の強い醤油が好まれるなど、地域ごとの特徴が明らかになっています。一方、茶の湯文化が栄えた加賀や金沢にも甘い醤油が根付いています。その背景には、長崎にもたらされた砂糖の文化と、千利休の没後、菓子職人とともに茶の湯の文化が金沢へ伝わった歴史があるといわれています。醤油は土地の風土や食文化を取り込みながら、それぞれの地域で独自の味を育んできました。一滴の醤油にも、その土地の歴史や文化が息づいていることを感じます。

  5. 613

    EP. 665『@お醬油 、其ノ一 - 醤油、オランダに渡る』

    もうすぐお昼ですね。今日はうどんを食べようという方も多いかもしれません。そこで注目したいのがお醤油です。実はヨーロッパに初めて伝わった醤油は、江戸時代に長崎・出島からオランダへ運ばれたものといわれています。その当時の醤油を再現した「コンプラ醤油」も販売されています。一方、長崎県西海市の離島・江島では、今も昔ながらの手作り醤油づくりが受け継がれています。大豆と小麦を使い、もろみを100日かけて育て、さらに約10か月熟成させるという、とても手間ひまのかかる製法です。甘みとコクのあるこの醤油は、あごだしでいただく五島うどんと相性抜群。今日のランチは、そんな長崎の味に思いをはせながら、うどんを味わってみるのもいいですね。

  6. 612

    EP. 664『@結城 、其ノ四 - お醤油造りと風月堂』

    結城紬の産地を訪れると、着物は日本人の所作や美意識を育んできたものだと感じます。帯を締めれば自然と背筋が伸び、歩き方や立ち居振る舞いにも気を配るようになります。結城には、天保の改革を進めた水野忠邦の墓もあります。厳しい倹約令で知られる一方、母は江戸・京橋の老舗菓子店「風月堂」の出身という意外な縁も残されています。さらに結城には、二百年以上続く醤油蔵「小田屋」があり、蔵に棲み続ける微生物の力で二〜三年かけて熟成させる醤油づくりが受け継がれています。看板商品の大吟醸醤油を中トロに合わせると、その深い旨みを存分に味わうことができました。東京からおよそ一時間半。結城を訪ね、歴史や食文化に触れながら醤油を持ち帰り、自宅で寿司を握って味わえば、店とはまた違った楽しみ方が広がります。

  7. 611

    EP. 663『@結城 、其ノ三 - 蕪村の里というおうどん』

    結城は結城紬で知られる町ですが、その着物を守ってきた桐箪笥の文化も欠かせません。群馬県桐生から結城にかけては桐の産地で、地名にもその歴史が残されています。一方、結城は四百年にわたり乾麺づくりが受け継がれてきた土地でもあります。俳人・与謝蕪村は十年ほど結城に暮らし、「狐火や五助新田の麦の雨」の句を詠みました。広々とした田園に広がる麦畑の風景は、乾麺づくりの営みとも重なります。「蕪村の里」といううどんを味わいながら、俳句を語り、人が集い、農業や食文化を育んできた時間に思いを巡らせると、結城紬と桐、麦と乾麺。それぞれの文化が結びつき、この土地ならではの歴史が感じられます。

  8. 610

    EP. 662『@結城 、其ノ二 - 大豆の形と繭の形』

    結城は鬼怒川と田川に育まれた水の豊かな町です。鬼怒川は、絹づくりを支える川として「絹川」とも呼ばれたと伝えられています。蚕は桑の葉を食べ続け、やがて約1500メートルもの糸を吐いて繭を作ります。その静かな営みに、結城紬の原点を感じました。続いて味わったのは、昔ながらの製法で仕込まれた「紬味噌」。原料には宮城県産の立長葉大豆が使われ、その形は繭によく似ています。この大豆は味噌だけでなく、結城の豆腐や煮豆にも使われ、甘みが強く、関東の醤油や味噌によく合う味わいです。結城紬を育んだ絹の文化と、立長葉大豆が生み出す食文化。人や土地、文化を結ぶ結城らしさを、あらためて感じることができました。

  9. 609

    EP. 661『@結城 、其ノ一 - 結城紬、ゆでまんじゅう』

    結城を訪ねてきました。東京から新幹線で小山へ、そこから水戸線でわずか7分。駅にはお蚕をイメージしたかわいらしいデザインが迎えてくれます。結城といえば、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている結城紬。鎌倉時代から受け継がれ、「三世代着て初めて味が出る」と言われるほど長く愛される着物です。今回は「蚊絣」という繊細な柄や、麻を織り込んだ涼やかな夏結城にも触れ、その美しさを実感しました。そして名物の「ゆでまんじゅう」は、江戸時代に疫病退散を願って神社に奉納したのが始まり。ちょうど麦秋を迎えた小麦畑が広がる結城ならではの味です。小麦やお米、そして養蚕など、豊かな自然と伝統産業が今も息づく町の魅力を、今週ご紹介します。

  10. 608

    EP. 660『@宇和島 、其ノ四 - 山に行くには三角おにぎり、畦地梅太郎』

    愛媛で行ってみたかった場所「石鎚山(いしづちやま)」。石鎚山は修験道の霊場として知られ、役小角(えんのおづぬ)が開山したと伝えられています。道後温泉の湯が白鳳地震で止まった際、役小角が石鎚山に神を祀って再び湯を湧かせたという伝説も残っています。宇和島出身の版画家・畦地梅太郎は、16歳で上京して印刷局に勤める中で版画の世界に入り、故郷・愛媛の山々を題材に独自の作品を生み出しました。また、宇和島市三間(みま)は四万十川最上流に広がる三間盆地の米どころで、昼夜の寒暖差と粘土質の土壌がおいしい三間米を育てています。宇和島では、おでんに付ける甘辛い「みがらし味噌」をおにぎりに塗って食べるのもおすすめです。畦地梅太郎の作品を眺めながら味わうと、愛媛の山や自然がいっそう身近に感じられました。

  11. 607

    EP. 659『@宇和島 、其ノ三 - 丸ずし、だんだん、段々畑』

    宇和島ではなんといっても鯛めし定食。地元では「鯛めし」ではなく「日向飯(ひゅうがめし)」と呼ぶそうです。黒潮が宮崎の日向から豊後水道を北上してくることから、その名が付いたといいます。定食には、おからを酢で締めて小魚をのせた郷土料理の丸寿司も添えられていました。米は年貢として納める貴重な作物だったため、米の代わりにおからを使うようになったとか。宇和島は急峻な地形のため水田が少なく、石垣を積んだ段畑で芋や豆などを育てて暮らしてきた所。愛媛では「だんだん」が「ありがとう」の意味で使われています。春にはシロウオの踊り食いやアオサ、青のりが美味しいことも教えていただきました。宇和島、春の味覚も魅力的で、来年は春にもう一度訪ねてみたくなりました。

  12. 606

    EP. 658『@宇和島 、其ノ二 - じゃこ天食べ食べ鉄道唱歌』

    宇和島出身の大和田建樹が作詞した鉄道唱歌は、1900年に出版されました。新橋駅には大和田建樹直筆による鉄道唱歌第一番の歌碑が建てられています。歌詞は東海道編だけで334番、北海道編を加えると374番にも及びます。宇和島駅では、夏目漱石最後の弟子で、現代の新漢字・新仮名遣いの制定に携わった阿部良茂の碑文を見ることができます。宇和島は鉄道が開通するまで陸の孤島と呼ばれ、高松から松山、八幡浜を経て、1941年にようやく鉄道が延伸されました。駅前で宇和島名物のじゃこ天。ホタルジャコを地元ではハランボと呼び、骨ごとすり身にして油で揚げた郷土料理です。鉄道工事に携わる人たちも食べていました。揚げたてのじゃこ天とみかんジュースを味わい、カルシウムやビタミンをたっぷり取ると、鉄道唱歌を口ずさみたくなるります。

  13. 605

    EP. 657『@宇和島 、其ノ一 - びわはやさしい木の実です』

    松山へ行くときは、最初は大分からフェリーで渡ることも考えたんですが、結局は羽田から松山まで飛行機で1時間20分、そこからレンタカーで宇和島へ向かいました。実は宇和島は、日本で、産婦人科を開業した楠本イネゆかりの地。父は、1823年に来日し鳴滝塾を開いて蘭学や医学を広めたシーボルトです。シーボルトが国外追放となったあとも、イネは西予市宇和町で暮らしました。江戸時代の町並みが残るその景色は、長崎の裏通りを歩いているような雰囲気。みかんや琵琶が実り、琵琶は昔、薬としても使われていました。宇和島の琵琶は長崎のものによく似た、やさしい甘さが印象的でした。

  14. 604

    EP. 656『@神楽坂 、其ノ三 - 肉まん五十番、紅葉、鏡花』

    神楽坂は毘沙門天や大久保通りまでで引き返す人も多い街ですが、その先の新潮社まで歩くと、さらに魅力的な店や風景に出会えます。大久保通りを越えると明治時代に入り込んだような雰囲気があり、尾崎紅葉を慕って16歳で金沢から上京した泉鏡花の姿を思い浮かべました。鏡花は1889年に神楽坂に住んでいた尾崎紅葉のもとを訪ね、書生として住み込みながら小説家への道を歩み始めます。その近くにある「五十番」の肉まんは、五目肉まんやうずらの卵入りなど具材が豊富で、神楽坂を訪れるたびに味わいたくなります。「五十番」という名前は、明治時代の横浜外国人居留地にあった番地「50番」に由来し、日本各地にある五十番のルーツでもあります。神楽坂を歩きながら肉まんを味わい、泉鏡花の『歌行燈』や尾崎紅葉の『金色夜叉』を読むと、明治文学の世界がより身近に感じられます。

  15. 603

    EP. 655『@神楽坂 、其ノ二 - 毘沙門天、クレープブルトン』

    神楽坂は雑貨店や画廊、カフェ、ワインバーなどが立ち並び、一日歩いても飽きない街です。坂を上ると江戸三大毘沙門天の一つ、善國寺の毘沙門天があり、五穀豊穣や商売繁盛、家内安全、長寿、立身出世の御利益で親しまれています。善國寺は徳川家康が開基した寺で、その裏手には江戸時代の武家屋敷をイメージして整備された新宿区立若宮公園があります。近くの若宮八幡宮は、源頼朝が奥州征伐の戦勝を祈願したと伝えられ、後に鎌倉の鶴岡八幡宮へ御神霊が勧請されたという由来があります。毘沙門天近くには1996年創業のクレープ店「クレープリー・ル・ブルターニュ」もあり、ブルターニュ仕込みの本場の味を楽しむことができます。江戸時代や鎌倉時代の歴史と、フランス文化が自然に溶け合う神楽坂を、ゆっくり歩いて楽しみました。

  16. 602

    EP. 654『@神楽坂 、其ノ一 - うなぎ、しまきん、長澤先生』

    神楽坂は東京の昔の面影ある街で、ゆるやかな坂道も魅力です。今回は、市ヶ谷側から坂を上ったところにある創業1869年のうなぎ店「志満金」を訪ねます。東京理科大学からも近く、夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公が卒業した東京物理学校が現在の東京理科大学であることから、漱石もこの辺りを歩いていたことになります。私にとって志満金は、法政大学の書誌学者・長澤規矩也先生を思い出す場所でもあります。先生は志満金を愛し、食事をしながら古書の話をしていたといいます。今回は、ご養子の長澤孝三先生と、長澤先生が行った陽明文庫漢籍の悉皆調査について、この店で打ち合わせをする予定です。志満金のうなぎは長いまま炭火で香ばしく焼かれ、ゆっくり食事や会話を楽しめる一軒です。

  17. 601

    EP. 653『@松山 、其ノ四 - 自転車競争、あかね牛、モー』

    松山や道後、宇和島を歩いていると、自転車に乗る人の多さに驚きます。子どもから高齢者までヘルメットを着用し、愛媛はまさに自転車王国でした。その背景には、日露戦争で松山に収容されたロシア兵捕虜のため、市民が自転車を貸し出し、1905年には自転車競走まで開いた歴史があります。宿泊した瀬戸内リトリート青凪で、夕食でいただいたのは愛媛あかね和牛。みかんなど柑橘類の搾りかすを食べて育った黒毛和牛で、日本で初めて赤身のおいしさを追求したブランド牛です。脂が少なく、やさしい味わいがとても印象に残りました。

  18. 600

    EP. 652『@松山 、其ノ三 - 阪之上の雲、皿の上の耳』

    道後温泉では、日本最初の軽便鉄道「坊っちゃん列車」に出会いました。1888年から67年間走り続け、夏目漱石の『坊っちゃん』にも「マッチ箱のような汽車」として登場します。松山の町を歩くと、どこへ行っても緩やかな坂が続き、『坂の上の雲』の舞台らしい風景が広がっています。道後の日本料理店「海舟」では、カミナリイカの耳をいただきました。カミナリイカはモンゴウイカの別名で、雷が鳴る頃においしくなることからそう呼ばれています。細かく包丁が入った耳は驚くほどコリコリとした食感で、何もつけずにそのまま味わいました。イカの耳は泳ぐ方向を決める舵の役割を持つようで、自分の耳は行く方向をわかっているのか思いを馳せました。

  19. 599

    EP. 651『@松山 、其ノ二 - 鯛飯、南伊予と東伊予』

    愛媛という地名は、『古事記』に登場する女神・愛比売に由来し、「愛するお姫様」という意味があるといわれています。今回は愛媛県民文化大学で、正岡子規や夏目漱石、中村不折、上田万年らが近代日本語を築いたことについてお話ししてきました。愛媛では県民のソウルフード・鯛めしも味わいました。『古事記』や『日本書紀』にも鯛にまつわる話が残り、今治では鯛を丸ごと炊き込む鯛めし、宇和島では刺身を醤油や卵などに漬けてご飯にかける鯛めしが親しまれています。南予では、みかんを餌に育てた養殖鯛もいただきました。

  20. 598

    EP. 650『@松山 、其ノ一 - 坊つちやん、野菜もお魚も神経締め』

    松山は、空港に降り立った瞬間から空気も光も人の雰囲気もやわらかくて、「ぼっちゃん」を書くためにこの地を訪れた夏目漱石も、きっと同じような驚きを感じたのではないかと思いました。街の中心には松山城がそびえ、市電が今も変わらず走る風景は、漱石の時代を思わせます。今回訪れた料理店では、神経締めで知られる今治の漁師・藤本さんの魚をいただきました。魚にできるだけストレスを与えずに仕上げることで、おいしさが引き出されるそうです。食材も人も、ストレスをかけないことが大切なんですね。伸びやかな文章で書かれた「ぼっちゃん」が今も愛されるのも、そんな松山の空気が育んだ作品だからなのかもしれません。

  21. 597

    EP. 649『@谷中・根岸 、其ノ四 - ニャー!日本語のおいしーを作った人たち』

    谷中霊園には、近代日本語の成立に大きく貢献した言語学者・上田万年の墓があります。上田万年は国語調査委員会を設立し、全国の方言調査や日本語の研究を進め、言文一致運動を主導しました。また、夏目漱石のイギリス留学を後押しした人物でもあります。猫の鳴き声を「ニャー」と表記するための小書きの「ャ」や長音符を考案し、漱石の作品にも用いられました。国定教科書では「お母さん」などの長音表記を採用しようとしましたが、森鷗外の反対により実現しませんでした。獅子文六の『食味歳時記』には、上田万年や幸田露伴、佐藤春夫、久保田万太郎らが参加した「名月と蕎麦の会」の様子が記されています。鮎や酒が供され、最後に蕎麦が出されました。幸田露伴や上田万年らは多くを語らず、黙って蕎麦をすすっていたと記されています。

  22. 596

    EP. 648『@谷中・根岸 、其ノ三 - 木魚叩いて普茶料理、梵』

    海梆(かいぱん)は、寺院で食事の時間などを知らせるために打ち鳴らす魚の形をした木製の道具で、現在の木魚の原形とされています。魚は眠らず目を閉じないと考えられていたことから、不眠不休で修行に励む僧侶の姿を表しています。また、魚が口から玉を吐き出す姿は、悟りによって煩悩を捨てることを意味しています。根岸には普茶料理の店「梵」があります。普茶料理は中国・明代に生まれた精進料理で、肉や魚、卵、乳製品を使わず、食材を無駄にせず感謝していただくことを大切にしています。ごま油や菜種油、くるみなどを使い、豆腐や湯葉、しいたけ、たけのこなどの食材を工夫して、肉料理や魚料理のような食感や味わいを生み出します。普茶料理は江戸時代初期に来日した隠元が伝えた料理で、大皿を囲んで皆で取り分けていただくのが特徴で、「梵」のある根岸・龍泉は樋口一葉の『たけくらべ』の舞台としても知られています。

  23. 595

    EP. 647『@谷中・根岸 、其ノ二 - お豆腐、笹の雪の如き美しさ』

    日暮里駅から根岸方面へ歩くと、書道博物館があります。書道博物館を創設した中村不折は洋画家でありながら書の収集家としても知られ、森鷗外の墓碑や新宿中村屋の看板の文字を書いた人物です。不折が集めた書のコレクションが収蔵されています。中村不折は正岡子規と親交が深く、1894年の日清戦争では、子規が文章、不折が絵を担当して戦地を取材し、その報道は近代日本語の成立にも大きな影響を与えました。また、不折は『ホトトギス』や『吾輩は猫である』の表紙も手がけています。子規庵の隣には老舗豆腐店「笹の雪」が2024年8月に新店舗を開きました。創業は1691年で、輪王寺宮が「笹の上に積もった雪のように美しい」と称えたことから店名が付けられました。正岡子規も好んで食べた豆腐として知られ、現在は豆腐のフルコースを味わうことができます。

  24. 594

    EP. 646『@谷中・根岸 、其ノ一 - 生きるために食べる!子規』

    東京・谷中は、夕やけだんだんや谷中銀座がある、どこか昭和の面影を感じる街です。そして、この地には俳人・正岡子規が晩年を過ごした「子規庵」があります。子規は34歳11か月という短い生涯でしたが、俳句を近代文学として確立し、今につながる日本語の表現を築いた人物です。また、「野球」という言葉を広めたことでも知られています。病に倒れ、寝たきりとなってからも創作への情熱は衰えず、夏目漱石や高浜虚子ら多くの仲間や弟子が子規庵を訪れました。子規は「頭を使う人ほど栄養をしっかり取るべきだ」と、弟子たちに牛肉などを食べて体を養うよう勧め、自らも食事を大切にして病と向き合いました。「食べることは生きること」という思いで最後まで命を燃やし続け、辞世の句「へちま咲いて 痰のつまりし 仏かな」を残して35歳を前にその生涯を閉じました。

  25. 593

    EP. 645『@水戸 、其ノ四 - 花びら茸、花鳥風月』

    茨城県は首都圏の台所とも呼ばれ、多くの農産物が生産されています。今回、その中で印象に残ったのが、白い花のような姿をしたハナビラタケでした。水戸では徳川ミュージアムを訪れました。偕楽園近くの高台にあり、水戸徳川家に伝わる美術品や古文書を所蔵しています。芝生の広場には徳川家康と徳川光圀の銅像が設置され、来館者が並んで写真を撮ることもできます。展示では、徳川家康筆と伝わる「花鳥風月」の書や、中国明代の青磁香炉を見ることができます。また、ハナビラタケのポタージュは、シャキシャキとした食感と香りが特徴です。館内の芝生は自動芝刈り機「カクさん」が管理しており、かつては「スケさん」も稼働していました。歴史資料や庭園、美術品に触れながら、ゆったりとした時間を過ごせる場所です。

  26. 592

    EP. 644『@水戸 、其ノ三 - アトリウムでいただくフカヒレそば』

    笠間を巡った後、水戸プラザホテルに到着したのは夜8時過ぎでした。ホテルは発明王トーマス・エジソンの曾孫が設計したもの。ガラス張りの屋根から光が降り注ぐ大きなアトリウムが特徴です。2001年に完成した館内には緑があふれ、19世紀ロンドンのクリスタルパレスを思わせる空間が広がっています。宿泊した部屋には屋外ジャグジーが備えられ、満月を眺めながら過ごすことができました。夕食は館内の四川飯店で、名物の「三種具入りフカヒレのとろみそば」を味わいました。この料理は目当てに訪れる人も多く、陳建民さんの「料理は愛情」という教えを受け継ぐ総料理長によって提供されています。水戸光圀の学問における「仁」、人に光を届ける建築としてのアトリウム、そして人を温かく満たす料理が重なり、水戸の歴史や文化とともに食を楽しみました。

  27. 591

    EP. 643『@水戸 、其ノ二 - 鮑のあとのローズポーク』

    水戸の住宅街にあるレストラン・オオツでは、旬の山海の食材を生かした料理が提供されています。シェフは独学で料理を学び、素材本来の味を引き出すため、バターやクリームをできるだけ使わない調理を心がけています。カニやエビが苦手な私にはアワビのソテーが出され、アワビだけのだしと薄い塩味で仕上げられています。続いて提供されるローズポークは茨城県のブランド豚で、生後4か月から6か月頃まで大麦を15%配合した専用飼料で育てられています。脂の口どけが良く、アワビとの組み合わせも特徴です。また、アワビという漢字は中国では塩漬けの魚を意味しましたが、日本では岩と殻の間に包まれて育つ貝を指すようになったとされています。店ではシェフの息子が県内各地を巡って食材を探しており、茨城の豊かな食材の魅力も感じることができます。

  28. 590

    EP. 642『@水戸 、其ノ一 - 水戸、江戸、アンコウ』

    東京から水戸へは、常磐線で乗り換えなし約1時間。日帰りにもぴったりの距離です。水戸は那珂川や桜川が流れる“水のまち”で、偕楽園の梅や豊かな自然が楽しめます。冬の名物といえばやはりアンコウ。12月から2月が旬で、あん肝やどぶ汁はもちろん、江戸時代には「常陸の国のアンコウが上品」と記されたほどの名物でした。実はアンコウは冬だけでなく、春には刺身、フレンチではポワレとしても味わえ、調理法によってまったく違う表情を見せてくれます。また、「水戸」の「戸」は入り口を意味し、川や水辺の入り口にできた土地であることが地名の由来だそうです。水の恵みと豊かな食文化に育まれた水戸の魅力を、改めて感じる旅となりました。

  29. 589

    EP. 641『@笠間 、其ノ四 - 自分で作った器で食べる!かさましこ』

    ゴールデンウィークの笠間では、陶芸の里・笠間芸術の森で笠間の「陶炎祭(ひまつり)」が開催されます。200を超える陶芸家が作品を展示販売する陶芸市で、来場者が茶碗やぐいのみを作れるワークショップも行われています。笠間は栃木県の益子にも近く、車で約40分ほどの距離にあります。笠間と益子は「かさましこ」と呼ばれ、日本遺産「兄弟産地が紡ぐ焼き物語」の舞台。両地域を合わせると600以上の窯元があり、18世紀後半から陶磁器を通じてつながってきました。笠間焼は自由な発想による造形性の豊かさが特徴で、器にとどまらない作品も数多く見られます。一方の益子焼は、人間国宝・濱田庄司に代表される民藝の流れを受け継ぎ、土の温かみや素朴さを大切にしています。自分で作った器で食事をすると、味わいも違って感じられます。笠間や益子で、ぜひ自分の器を作ってみてはいかがですか。

  30. 588

    EP. 640『@笠間 、其ノ三 - 真っ白!自然薯』

    笠間の道の駅では、この時期になると摘果メロンが人気です。摘果メロンは手のひらほどの大きさの若いメロンで、生のまま塩をつけて食べると、メロンのほのかな甘みとキュウリのようなみずみずしさが楽しめます。マヨネーズを添えたり、一夜漬けにしたりしても美味しく、午後には売り切れてしまうほどの人気です。また、道立派な自然薯も並んでいます。自然薯は地中深くまで伸びるため、掘り出して収穫します。皮をむくと真っ白で、土臭さはなく、森や落ち葉を思わせる香りがあります。粘りが強く、塩だけで味わうと自然薯本来の風味が引き立ちます。麦ご飯にかけると、とろろの粘りによって一層美味しくなります。笠間の土は自然薯の栽培に適していて、弥生時代や古墳時代の人々も食べていたのではないかと思わせる土地です。

  31. 587

    EP. 639『@笠間 、其ノ二 - 胡桃稲荷、縄文弥生』

    笠間は栗の産地として知られ、「栗のいえ」では笠間産の栗を使ったデザートを楽しむことができます。江戸時代から続く庭や旧町長宅だった建物も残されています。栗は果物として扱われますが、デンプンを約40%含み、じゃがいもやさつまいもと同じように炭水化物が豊富な食べ物です。そのため縄文時代から貴重な食料だと考えられていました。笠間には弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が多く、笠間中央公園遺跡では弥生時代から鎌倉・室町時代までの遺構や土器が発見されています。また、「栗のいえ」がある土師(はじ)地区は、古墳時代に埴輪や土器づくりに関わった人々の名を今に伝える土地です。笠間では栗づくりだけでなく、地元の土を使った陶芸も行われており、夏には栗を使ったかき氷も味わうことができます。

  32. 586

    EP. 638『@笠間 、其ノ一 - 胡桃稲荷、縄文弥生』

    笠間市は東京から車で2時間半ほど。今の季節は栗の花の香りや若葉が美しく、のんびり散策するのにぴったりです。笠間稲荷神社の参道には、お狐様やお社を売るお店が並び、赤い鳥居が新緑に映えていました。境内には樹齢400年ともいわれる「オニグルミ」の御神木があり、縄文時代から続く自然の歴史を感じさせてくれます。一方、お稲荷様は稲作と結びついた弥生時代の信仰。笠間には縄文と弥生、二つの時代の物語が重なっているんですね。参道で見つけた小さな稲荷寿司には、そのオニグルミが入っていて、お米との相性も抜群。甘くて香ばしい味わいに思わず笑顔になりました。お狐様がくわえる鍵は、人の幸せを開く鍵ともいわれます。笠間は、そんな小さな幸せに出会える町でした。

  33. 585

    EP. 637『@宇治 、其ノ四 - 鮎とウッティー』

    宇治川を眺めていると、中州の形が「仁」という漢字のように見えました。仁とはもともと親子の愛情を表す言葉でしたが、孔子はそこに広く人を思いやる心という意味を与えました。そんなことを考えながら、宇治の風土や文化に流れる優しさについて思いを巡らせます。宇治では初夏になると鮎の季節を迎え、伝統的な鵜飼が行われます。なかでも宇治の鵜飼は、人工孵化で生まれたウミウを女性鵜匠たちが育て、鵜と人との深い信頼関係によって成り立っていることが特徴です。縄を付けずに放たれた鵜が鮎をくわえて船へ戻り、自ら鵜匠のもとへ運んでくる姿には、親子のような絆が感じられます。また宇治は『源氏物語』宇治十帖の舞台でもあります。浮舟の物語には恋愛だけでなく、母への思慕や人間の孤独、心の苦悩が色濃く描かれています。宇治川の流れや鵜飼の風景を通して、宇治という土地が持つ深い優しさと、人の心を包み込むような魅力について思いを巡らせました。

  34. 584

    EP. 636『@宇治 、其ノ三 - 白身魚と宇治の御茶』

    以前から訪れたいと思っていた宇治を訪ね、宇治橋断碑をみました。宇治橋断碑は日本現存最古級の石碑の一つで、大化の改新の翌年である646年に架けられた宇治橋を記念して建てられました。現在は三分の一ほどしか残っていませんが、宇治橋建立の記録は複数の歴史資料にも残されており、古代から交通の要衝だった宇治の歴史を今に伝えています。碑文には、流れの速い宇治川を渡れず人々が困っていたため橋が架けられたことが記されています。橋は人と人、場所と場所を結ぶ存在です。一方で宇治は茶どころとしても知られています。宇治のお茶をいただきながら、鯛とヒラメのお造りをいただくと、白身のお魚の甘みがもっと白くなるような感じがしました。宇治茶と静岡・掛川のお茶を飲み比べながら、それぞれの味わいの違いについて考えます。宇治茶には心を静めるような穏やかさがあり、まるで障子越しの柔らかな光のような静けさを感じます。橋や箸、そして「端」という言葉に共通する“つなぐ”というイメージがします。宇治のお茶が人を別の世界へ導く架け橋のような存在であるんだなと思います。

  35. 583

    EP. 635『@宇治 、其ノ二 - 抹茶豆腐と鳳凰堂』

    雨の降り始めた宇治を訪れ、宇治川沿いで1840年創業の老舗料理店の二階から川の流れを眺め、源氏物語の「宇治十帖」に思いを巡らせました。宇治は古くから都を離れた人々が集う場所ともされ、その地名も「憂い」に由来するという説があります。そんな人々の不安や悲しみに寄り添うように建つのが平等院鳳凰堂です。平安時代、人々は末法思想により世の終わりへの恐怖を抱いていました。栄華を極めた藤原道長もまた、権力だけでは人々を救えないことを知り、平等院鳳凰堂の建立を通じて新たな平和への願いを託したといわれています。旅の締めくくりには宇治ならではのお茶料理を味わいます。三日かけて作られる抹茶豆腐は、美しい新緑色とやさしい風味が印象的で、宇治の歴史や信仰の世界と重なり合うような深い余韻を残してくれました。

  36. 582

    EP. 634『@宇治 、其ノ一 - 宇治川の流れでできる女酒』

    京都で仕事の合間に、そろそろ茶摘みの季節だと思い、宇治へ向かいました。途中で乗り換えた中書島は、かつて大きな池と蓮の花が広がる風光明媚な場所で、戦国時代から歴史を刻み、明治から戦後にかけては花街としても栄えました。そのにぎわいを支えたのが、伏見の名酒です。伏見の酒は「女酒」と呼ばれます。琵琶湖から流れる宇治川のやわらかな水で造られるため、口当たりが優しいのが特徴です。一方、六甲山系の硬水で造られる灘の酒は「男酒」と呼ばれ、力強い味わいで知られています。伏見には御香宮神社の「御香水」をはじめ名水が数多く湧き、この水がお酒やご飯、お茶の美味しさを支えています。宇治の新茶を味わうにも、やはりその土地の水が一番。京都の豊かな水文化を改めて感じる旅となりました。

  37. 581

    EP. 633『@納豆 、其ノ四 - わっはっは 納豆と梅干し、黄門様の朝ごはん』

    先日、水戸に行ってきました。水戸といえば納豆、そして黄門様です。水戸黄門こと徳川光圀は、テレビや小説では全国を旅して悪人を退治する人物として知られていますが、実際には江戸と水戸を往復することが多かったといいます。水戸納豆は、藁で大豆を包み発酵させたもので、藁は稲の茎であり、米と豆が結びついた食べ物が納豆です。納豆の起源には、馬の餌の煮豆を数日放置したことで発酵したという説があり、水戸や仙台など各地に伝承があります。水戸黄門の日記には納豆が登場し、毎朝「納豆汁」として食べていたとされています。また、有事に備えて、水戸藩の人々に納豆や梅干しを作り保存することを奨励していました。水戸の伝統、ご飯と納豆、梅干しを食べる朝食が、黄門様のように朝の場面を一気に勧善懲悪してくれるかもしれません。

  38. 580

    EP. 632『@納豆 、其ノ三 - 天下泰平 浜納豆』

    浜松の名物「浜納豆」。糸を引かない納豆で、黒い小石のような見た目をしています。浜松の強い風とカラッとした気候を活かして天日干しで作られます。戦国時代、徳川家康は浜松城を拠点としていましたが、浜松は家康にとって苦い土地でした。武田信玄との三方ヶ原の戦いで大敗し、何度も負け戦を経験しました。泥と汗にまみれた家康のそばにあったのが浜納豆でした。浜納豆は大豆を麹で発酵させ、塩水につけて熟成させて干して作ります。一粒噛むと、まず塩気、次に苦味、そして発酵した大豆の旨みがゆっくり鼻の奥に通ってきます。白いご飯に一粒置くとよく合います。保存ができ、持ち運べ、少量で力になる浜納豆は、戦国時代の条件を完璧に満たした食料でした。家康が天下を取るために使ったのは刀だけではなく、時間を読む力、人を待つ力、食の知恵でした。浜松が育てた浜納豆こそが家康のお城だったのではないでしょうか。

  39. 579

    EP. 631『@納豆 、其ノ二 - NEVER NEVER GIVE UP 鑑真』

    皆さん、納豆はお好きですか? ネバネバとかき混ぜていると、不思議と元気が湧いてくる気がしますよね。そんな納豆ですが、実は北海道とも深い縁があります。北海道は大豆の一大産地で、おいしい納豆作りに欠かせない場所なんです。その発展に大きく貢献したのが、北海道帝国大学の研究者・半沢洵先生。かつて納豆は藁に包んで作るのが一般的でしたが、半沢先生は納豆菌を培養して製造する「半沢式納豆製造法」を確立しました。そのきっかけを与えたのが、納豆菌の研究で知られる沢村真博士です。北大には今も半沢先生の銅像があり、さらに文学者の有島武郎とも親交がありました。納豆の糸のように、人と人とのつながりが新しい文化や技術を生み出してきたんですね。梅雨のじめじめした季節、北海道の爽やかな空の下で食べる納豆は、きっと格別のおいしさだと思います。

  40. 578

    EP. 630『@納豆 、其ノ一 - 北海道と言えば納豆』

    皆さん、納豆はお好きですか? ネバネバとかき混ぜていると、不思議と元気が湧いてくる気がしますよね。そんな納豆ですが、実は北海道とも深い縁があります。北海道は大豆の一大産地で、おいしい納豆作りに欠かせない場所なんです。その発展に大きく貢献したのが、北海道帝国大学の研究者・半沢洵先生。かつて納豆は藁に包んで作るのが一般的でしたが、半沢先生は納豆菌を培養して製造する「半沢式納豆製造法」を確立しました。そのきっかけを与えたのが、納豆菌の研究で知られる沢村真博士です。北大には今も半沢先生の銅像があり、さらに文学者の有島武郎とも親交がありました。納豆の糸のように、人と人とのつながりが新しい文化や技術を生み出してきたんですね。梅雨のじめじめした季節、北海道の爽やかな空の下で食べる納豆は、きっと格別のおいしさだと思います。

  41. 577

    EP. 629『@長崎県大村湾周辺 、其ノ四 - 長崎のジャガイモ、ニシユタカ』

    長崎で栽培されているジャガイモの品種に「ニシユタカ」があります。皮が薄く形が崩れにくいため煮物に適しています。このジャガイモは以前「デジマ」という名前で呼ばれており、その歴史は江戸時代まで遡ります。1808年に起きたフェートン号事件では、イギリス軍艦がオランダ国旗を掲げて長崎港に侵入し、オランダ人を拉致しました。人質解放の条件として水や薪とともにジャガイモ2カゴが渡され、人質が無事解放されました。その後、1821年にオランダ商館の職員たちが桜馬場の裏でジャガイモ栽培を行い、これが現在のニシユタカの原型となる「デジマ」となりました。このような歴史的背景を持つニシユタカは、「煮物」だけでなく「じゃがバター」で食べるのも良さそうです。

  42. 576

    EP. 628『@長崎県大村湾周辺 、其ノ三 - アコヤ貝を食べると真珠が見つかる!』

    フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』は一度見たら忘れない絵です。大村湾周辺では、子供の頃、海に潜るとアコヤ貝が岩に多く張り付いており、炭火で焼いてバター醤油で食べる習慣がありました。時には貝の中から真珠が出てくることもあり、四つ葉のクローバーを見つけた時の嬉しさがありました。真珠養殖で有名なミキモトですが、大村湾では高島末五郎が昭和12年に、真珠を丸く美しく育てるためのアコヤ貝養殖を始めています。『肥前風土記』には、大村湾の島の女性が献上した貝から二つの真珠が出てきたため、その島を「玉の島」と名付けたという記述があります。また、大村藩主・大村純忠はローマ法王やオランダ人に真珠を献上していました。そのため、フェルメールの少女が身につけていた真珠も、大村湾の真珠だった可能性があり、もしそうだとしたらすごいことですね。

  43. 575

    EP. 627『@長崎県大村湾周辺 、其ノ二 - 大村の野望・塩ゆでピーナッツ』

    江戸時代の大村藩があった地域は、かつて「肥前彼杵(ひぜん そのぎ)」と呼ばれていました。室町時代末期の1561年、平戸を追われたポルトガル船とキリスト教の神父たちが、大村湾入口の横瀬港を見つけます。領主・大村純忠は、ポルトガルとの貿易によって領地拡大や勢力拡大ができると考え、キリスト教を受け入れました。1563年には大規模なキリスト教布教も始まります。大村は京都や関東から遠い土地でしたが、西洋とのつながりによって時代の変化を感じていた場所でした。また、大村では塩ゆでピーナッツが名物になっています。現在一般的な関東のピーナッツは明治以降のものですが、戦国時代にはポルトガル船によって南アフリカ経由のピーナッツが日本へ持ち込まれていました。大村でも、ポルトガル人や神父たちから伝わったピーナッツを食べていた可能性があります。大村の浦川豆店では「ゆでぴー」という塩ゆでピーナッツが売られており、おやつや酒のつまみとして親しまれています。

  44. 574

    EP. 626『@長崎県大村湾周辺 、其ノ一 - にごみ、さなぼり、かまあげ大村』

    東京から飛行機で1時間半ほど。長崎空港は大村湾に浮かぶ島にあって、着陸前に見える景色が本当にきれいなんです。大村湾は山に囲まれた穏やかな海で、塩分濃度が低く、水がやわらかいと言われています。そのおかげで、アナゴやヒラメなど魚もおいしいんですね。そんな大村には、田植えの後にいただく「さなぼり」、稲刈り後の感謝を込めた「かまあげ」という食文化も残っています。そして地元の家庭料理が「にごみ」。ごぼうや里芋、鶏肉、さつま揚げなどを汁気がなくなるまで煮込んだ、ゴロゴロしたお惣菜です。白いご飯によく合って、まさに母の味。大村湾を訪れたら、ぜひ味わってほしい郷土料理です。

  45. 573

    EP. 625『@嬉野・多久・武雄 、其ノ四 - 宇宙で食べるなら呉豆腐』

    武雄には、宇宙ステーションのような外観をした佐賀県立宇宙科学館「ゆめぎんが」があります。ここではJAXAと佐賀県が連携した「JAXA佐賀スクール」が行われ、自然科学や宇宙への興味を育てています。館内には自然科学系の本を集めた図書館やブックショップもあります。また、武雄市立図書館は開放感があり、自由に本を選んで読める居心地が素晴らしく良い空間です。武雄には、明治時代に建てられたままのレトロな温泉も残されており、熱い湯とぬる湯の二つの浴槽があります。さらに、樹齢三千年を超える大きなクスノキの御神木があり、幹の中には畳十二畳ほどの空間と神様が祀られています。武雄名物の呉豆腐は、にがりではなく葛とでんぷんで固められており、ぷるぷるでもちもちした食感です。ごま醤油をかけて食べるほか、黒蜜やきな粉をかけてデザートのように食べることもあります。無重力空間で呉豆腐を食べてみたいと思うほど不思議な食感でした。

  46. 572

    EP. 624『@嬉野・多久・武雄 、其ノ三 - 真赤な大根、献上品』

    江戸時代、鎖国をしていた日本では、ヨーロッパや中国大陸から入ってきた文物は長崎街道を通って福岡、大阪、江戸へ運ばれていました。その街道沿いにある多久という町には、日本最古と言われる孔子廟があります。また、多久にはここにしかない伝統野菜「女山大根」があります。女山という山で育つことからその名が付けられました。女山大根は白ではなく赤く、長さ約八十センチ、胴回り六十センチ、重さ十キロほどにもなる大きな大根です。辛みが少なく甘みが強く、硬くて煮崩れしにくいため、昔は煮物として食べられていました。現在では大根おろしやシャーベット、アイスクリームにも使われています。旬は十二月から二月頃で、武雄や嬉野温泉へ向かう途中の多久で味わうことができます。多久の殿様は、この女山大根を牛に四本積んで佐賀藩主に献上していたと言われれるほどの珍味です。

  47. 571

    EP. 623『@嬉野・多久・武雄 、其ノ二 - 温泉湯豆腐、「MUSIC FOR THE ONSEN」』

    嬉野温泉では、温泉に浸かりながら何も考えず、ぼーっとしていると、つらいことも消えていくように感じられます。地元の人に勧められて旅館・大村屋を訪れると、ラウンジには、佐賀県出身の書家・中林吾竹の「書代万」という書が目に入ってきます。町が火事になった際、当主が川に入って守ったという話も残っています。嬉野温泉名物の湯豆腐は、とろみのある温泉のお湯でゆっくり煮込まれ、体の中まで温まるようなおいしさです。また、くるりの岸田繁さんが制作した『MUSIC FOR THE ONSEN』という音楽が館内で流れていて、温泉に入って“とろとろ”、湯豆腐を食べて“とろとろ”、音楽を聴いて耳の中まで“とろとろ”になる感覚になります。嬉野では、いろいろなことを忘れてしまうような時間が過ぎていきます。

  48. 570

    EP. 622『@嬉野・多久・武雄 、其ノ一 - 嬉野温泉でお茶、うれしいの』

    嬉野へは、博多から特急リレーかもめを乗り継いで、西九州新幹線に乗れば東京からでも午後には到着できます。塩田川が流れ、歩いているだけで心がほどけていくような場所です。観光とは、その土地の“光”を見つけ、学ばせてもらうこと。そんな言葉がぴったりの町だと感じます。嬉野温泉は日本三大美肌の湯のひとつで、歴史も古く、さらに580年以上続く嬉野茶の産地としても有名です。茶畑や森、大村湾を眺めながらお茶を味わうティーツーリズムも魅力ですね。そして、お茶に合うのが橋爪菓子舗のどら焼きや名物のまんまるカステラ。藤井聡太さんがお茶菓子に選んだことでも知られ、温泉とお茶とお菓子、その全部が嬉野の魅力を感じさせてくれます。

  49. 569

    EP. 621『@伊万里 、其ノ四 - メインは伊万里牛に青磁、長春』

    伊万里のメインディッシュは、伊万里牛です。但馬牛の血統を受け継ぐ伊万里牛は、地元の固有の土地と牧草で育てられることで、他の銘柄牛とは異なる独特の美味しさを生み出しています。外国人からも絶賛されるほどの逸品です。このおいしい伊万里牛を盛るにふさわしい器が、伊万里焼の最高峰である鍋島です。佐賀鍋島藩の秘窯「大川内山」で作られてきた鍋島は、江戸時代には将軍家や諸大名にのみ献上される特別な陶磁器でした。色鍋島、鍋島染付、そして青磁の三種類があり、中でも九代長春による青磁は、濃い水色の神秘的な光沢で伊万里の四季折々の自然の美しさを表現しています。美味しさは舌の上だけで味わうものではありません。伊万里牛の美味しさと、それを盛る青磁の芸術性が一体となることで、総合的な美食体験が実現します。食卓に彩りと深みをもたらす、伊万里ならではの文化を堪能できるのです。

  50. 568

    EP. 620『@伊万里 、其ノ三 - デザートに伊万里フルーツ』

    佐賀は南国で豊かな土地であり、佐賀の人々は非常に徹底した性質を持っています。商売では利を取り切り、交渉では甘さがなく、行動力に優れながらも倹約や合理性を徹底しているのが佐賀人の特徴です。しぶとい性質を持ちながらも、つらい顔を見せず、ニコニコ笑顔で対応するあっさりした気質が魅力です。伊万里は、東松浦半島と北松浦半島の付け根に位置する地政学的に興味深い場所で、両半島から流れてきた文化を吸収する地点です。古くからフルーツ王国として知られ、伊万里梨は手のひらサイズの小さな梨で、水分豊富で原種の特性を残しています。薄皮のキンカンは種がなく、そのまま食べられる珍しい品種です。また、芯まで真っ赤な「イチゴさん」というブランドが大人気で、フルーツ狩りができるスポットも多数あります。

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この番組は作家・文献学者の山口謠司が、日本の食文化を通して全国各地で育まれてきた“日本ならではの知恵”を紐解くポッドキャストです。(FMラジオ局 J-WAVE 81.3FM では毎週月曜日から木曜日11:40〜11:50にオンエア中。)Navigator:山口謠司(http://abocavo.a.la9.jp)Sponsor:PLENUS( www.plenus.co.jp) / PLENUS 米食文化継承活動(https://kome-academy.com/)Production:E.A.U(www.eau.co.jp)

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