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『芦田の毎日』 — 294 episodes · page 3 of 3
学歴・超高層・ポストモダン
デリダのフッサール理解について — 表現と意味(1982年)
〈序文〉とは何か — 『書物の時間』(1982年)
学生は〈顧客〉ではない
病院は面白い
「不治の病」とは、死ぬという病気のこと
台風とキリスト教とニーチェと
季節はずれの桜と二匹の犬
生活苦とは、何か
新学力観と教育評価の諸問題
東日本大震災と「気仙沼ブルース」
講座制とカリキュラムと — なぜ、日本の大学にはカリキュラムが存在しないのか
大学の多様性と多様な教育の諸問題
授業ノート論
『シラバス論 — 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』序文について語る。
ヘーゲルとハイデガー :現前性とは何か
ハイデガーと世界性の問題 — 『存在と時間』入門
コピペ批判とは、何か。
「連絡」とは、何か
フッサール・ハイデガー・デリダと現象学の可能性(マリオン『還元と贈与』論)
テレ朝『あいつ今何してる?』『あざとくて何が悪いの?』、Amazon Prime『ゴールデンコンビ』『シークレットNGハウス』などの源流を語る
二十歳のサンタクロース計画
追悼・坂井泉水
「知的」であるとは、何か
社会人教育(生涯学習)と高等教育改革
〈学校教育〉とは何か。
吉本隆明:自己表出論、関係の絶対性、悲劇
70歳を超えて思うこと
「認知行動療法」の諸課題(『代替行動の臨床実践ガイド』を読む)
〈学び合い〉教育の諸課題 — 西川純(上越教育大)とのやりとりから
大学は〝自分探し〟の場処ではない
晶文社版吉本隆明全集月報執筆を依頼されたこと — 恩返しとは何か
夫婦げんかは犬も食わない
「少々お待ちください」とは何を意味するのか — 顧客と教育の時間性
蓼科避暑記 — 騒動・テロとの戦い
教え子からの10年ぶりのメール
「知的生産の技術」研究会・八木哲郎会長追悼
Twitter(現X)の時間性 — mixi、Facebookとの違い、あるいは、ソーシャルメディアとは何か
賢く捨てる家庭と人生(戸建てを捨てること)
iPhone発売当時(2007年〜 2008年)のマルチタッチ革命。
古典読解と大学の役割
人間環境大学・環境情報学科は、これまでの〈情報〉教育とどこが異なるのか。
ハイデガー『存在と時間』入門以前(東海大学・霞が関キャンパス講演)
ウィニコット論 (good enough mother論)— 大学院の講義から
機能主義、行動主義、サイバネティクス
Amazon prime「最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ」 — 息子・太郎のAmazon移籍後最初の作品
追悼・吉本隆明 —〈像 〉概念の影響について
情状性、死への存在 — 『存在と時間』入門以前
生成AIと大学教育の変奏
「君が代」と形式主義
「努力と階層 — 哲学と私」(『努力する人間になってはいけない』書評)
東大大学院の英語授業化について — 作品の国際性とは何か。
読書の無方法について — 難しい本を読む方法
〈聴覚〉と子供の〝発達〟
息子・太郎の就職活動総括
苅谷剛彦と日本の教育格差 — 『シラバス論』から
学歴主義か、最新学習歴主義か — 『シラバス論』芦田宏直・本間正人対談より
『シラバス論』におけるメタトークの意味について
「構成的な話体表出の方法 」(吉本隆明)— 『努力する人間になってはいけない』序文
『努力する人間になってはいけない』についての中西大輔教授(広島修道大学・心理学)の書評。
人工知能の諸問題
電子書籍論
ハイパーテキスト論(1995年)
機能主義から行動主義へ
〈表現〉の成立について — 〈表現〉と〈終わり〉
追悼・高橋允昭先生
追悼・山田田津子先生
デリダ京都滞在記。
追悼・川原栄峰先生、あるいは早稲田哲学の死について
「教育改革」は、なぜ成功しないのか(広島修道大学FD研修会)
多様性教育・個性教育は、単なるマーケティングに過ぎない。
「一流」とは何か。
「フレーム問題」と人工知能の限界について
中曽根臨教審以降の学校教育の変貌 — 多様性・個性教育の害悪
結婚式披露宴・親族代表、ご挨拶
卒業式式辞 : 努力する人間になってはいけない
卒業式式辞 : イノセントであってはならない — 〈生きる〉ことの受動性の話
フロイトの女性論について — 女性にとって男性とは何か
機械の故障と人間の病と
散髪屋にて
予備校営業が突然自宅にやってきた。
大学新入生講話 — 検索をしてはいけない
大学入試改革の時代錯誤
読書の作法
デザインの意味論 — 意味をデザインすること
宮本顕治氏の革命論について
素数と自己意識について — 『ブライム・ターゲット』(Apple TV+)を見て
小田急線の少年に出会う。
Twitter微分論
映画『バベル』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニュリトゥ監督)について
死の存在論 — ハイデガー『存在と時間』に影響を受けながら
なぜ、人を殺してはいけないのか。
大学は、〝自分探し〟の場処ではない
死んだ人と、会わない人との違いはなんだろう。古い同級生などは消息不明だが、消息不明の人と死んだ人との違いはなんだろう。関心のない人と死んだ人との違いはなんだろう。アリストテレスには関心があっても、それでも会えなくても悲しくはないが、実はこんな問題を真面目に考え続けるのが哲学だ。
吉本隆明と〈転向〉