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『芦田の毎日』 — 294 episodes · page 2 of 3
生成AI活用による期末試験作成(期末試験作成の第三者化)についての混乱。
多発性硬化症(MS)と視神経脊髄炎(NMO)の国内外の2000年代中盤の研究史 — メイヨーから東北大学へ(いかにベータフェロンは薬害となったのか)
京都の元祖『珉珉』とその社長秘書・中井淳二さんの絵について
加藤諦三先生と谷口龍男先生と
哲学の再固有化 re-appropriation — 概念の分割について
言語と思考 — フッサール現象学における〈意味〉について
柄谷行人と永坂田津子と
『ポツンと一軒家』(2025.6.22)の定年後の銀行員について
『東京ラブストーリー』(1991)を考える
続・フレーム問題について― ハイデガーの死の哲学と人工知能の課題について
フレーム問題について― 人工知能の限界とフレーム問題
デリダのフォネーロゴス中心主義について
カントの〈始元〉論 ― 「生起しない」原因性
学校教育における〈期末試験〉の意味について
全身麻酔手術の術前・術後の落差について
自動車ディーラーの接遇について
リコーテクノシステムズ管理職研修記録(2005年)
ウーシア、主観、確実性からサイバネティクスへ
福島原発事故全ツイート
『存在と時間』フルテキスト検索の見果てぬ夢(2009年の記事)
ドリカムと私 — 深夜に家内をたたき起こした「あなたに会いたくて」
2007年紅白歌合戦全曲批評 — 2ちゃんねるにスレが立った
福沢諭吉『学問のすすめ』感想文コンクールの審査員をして思ったこと
芦田宏直vs渡邊芳之(帯広畜産大学教授)論争 — 心理学か、機能主義か
続編・賢い専門学校の選び方 — 初級、中級、上級
賢い専門学校の選び方 — 就職率、資格合格率、出席率の数字を疑うこと。
リクルートのIT業界研究会に参加して — 企業人材と高等教育の課題
一見客を嫌がる散髪屋に入ってしまった。
避暑地蓼科でのジョギング中止 — 慣れないことはやめたほうがいい
SACD=DSDファイル再生の魅力について
ジャック・デリダ京都滞在記(1983年)
郷ひろみ「How many いい顔」(1980)
私の本は息子には絶対貸さない
中西大輔教授(広島修道大学・心理学)による『努力する人間になってはいけない』書評 — 痛烈な機能主義批判の書
〈音場〉か、〈音質〉か — 高島誠先生と五味康介と
家庭用プロジェクターの進化について
叙述と真理 — 『書物の時間』(1990)より
「人生最後の車」の〝クルマ選び〟
北京オリンピックの記憶
マンション管理組合理事会と管理会社と
高橋尚子と小出監督と
コンピュータとは何か — 時間と行動のサイバネティクス
東京ドーム観戦記 — 野球より観客を見ていた
デザインの意味論 — フッサールの超越論的意味論 からハイデガーの時間性へ
コミュニケーションとは何か
私がマンション管理組合理事会理事長を解任された理由。
「女性は男性より先に死んではいけない」 — 部下の披露宴主賓の挨拶として
高坂 正堯の岩間陽子への言葉 — 天声人語のバカ
立正大学「哲学」講義の教え子からのメール
〈私〉というものは存在しない
死、私、世界
デカルト的〈主観〉とその「確実性」について
経済産業省「産業界から見た大学の人材育成評価に関する調査研究」会議に参加して — またしてもコミュニケーション能力か
左翼と信号機のおじさん・おばさん
好酸球過多型副鼻腔炎の術後処置について
小学校の「学び合い」教育を参観して(2) — 担当教員からの反論に答える
小学校の「学び合い」教育を参観して(1) — 個性教育の不毛と罪悪
大学の機能分化と専門職大学の課題
大学教育と古典の差別性
東大から始まった〈講座制〉 は、カリキュラムの反対語
タレントさんたちの披露宴と私の謝辞(息子・太郎の披露宴において)
一番わかりやすいコマシラバス解説 — 『シラバス論』出版記念パーティにおける中原翔先生のご挨拶)
全国初の生成AI全学導入の教育について
大学と資格教育(リクルート『カレッジマネジメント』第96号)
接遇教育は、専門教育をダメにする
ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』(全11話)を見て — 二つの不在の〝中心〟としての「世界の中心」
成人式を迎える君たちへ — 「自立してはいけない」
専門学校における「実践的な」職業教育とは — カリキュラム編成委員会に参加して。
大学入試改革「有識者会議」(座長・安西祐一郎)に物申す
「点数主義の方が個性主義より多様だ」(朝日新聞GLOBE、2016/03/06)
朝日新聞「究極に公平な入試とは — マークシート入試の本質は、家庭の影響の排除にある」 2020年2月17日 — 芦田が朝日新聞の依頼において書き下ろしたもの
土井隆義(筑波大学 )の個性論批判 — 『「個性」を煽られる子供たち』について
式辞「自立してはいけない」
『努力する人間になってはいけない』書評 — 痛烈な機能主義批判
『努力する人間になってはいけない』あとがき — 日本の若者の消費偏差値について
〈教育〉という言葉の語源について — 『シラバス論』より
『シラバス論』書評 — 大学における学問の意義
映画『あの日の指輪を待つきみへ』 — 約束とは。
名作『ブロークバック・マウンテン』に見る故郷と喪失
ウーシアの変遷、デカルトの主観、サイバネティクス
授業期間中の小テスト評価と期末試験評価との関係について
緊急入院しました — 病院選びは難しい
息子・太郎による22歳一人での帰省
小椋佳「さらば青春」について — 僕は呼びかけはしない
くだらない授業(5) — 英語表記か、カタカナ表記か
くだらない授業(4) — 作品批評の諸課題
くだらない授業(3) — 専門用語の歴史性について
くだらない授業(2) — CPUはハードウエアか
くだらない授業(1)— インテリア科編
追悼・ホイットニーヒューストン 、あるいは二作目の苦悶
「ある」と「べき」の哲学(法政大学「哲学」第1回講義)
教育格差、選抜格差、メリトクラシー
「教育の質保証」の取り組みとコマシラバス
息子の結構式披露宴における謝辞
「検索バカ」と反ファンクショナリズム(吉本隆明の〈自己表出〉論について)
私立中学受験に反対する
私立中学受験と家族のnobility
フンボルト理念における〈教育〉と〈研究〉
阿久悠「ざんげの値打ちもない」の世界
〈人生〉を語ってはいけない